[SIJ: 20624] なきひとの面影とともに生きる@豊田 ご案内

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2020年 2月 4日 (火) 19:41:05 JST


皆様へ。



表記講座をご案内いたします。



先ほどフェイスブックの自分の投稿文を加筆修正しておりました。

以下の部分です。



「生駒石切に集うということは、円坐の生と死に立ち会うということです。

それは敢えて愛と信頼のない人間関係を生きようとする「名乗り」であろうと思いま
す。



対峙して仕合い、振れて、揺れて、倒れ、再び対峙して仕合う一途な思いは、

外側に感じる「時間」ではなく、主体的に生きられた腹底の「時」となって実現し、
「セイムページ」が起こります。

その瞬間「人間関係の地獄」はそのままおのずから「愛と信頼」に転じます。

「地獄」がそのまま最高の景色であったという覚醒。



ゆえに誰かが用意してくれるような「愛と信頼」は必要ありません。

あえて「地獄」になった彼らこそが「愛」であり、彼らをおいて「信頼」に価する人
間は他にいないからです」。





今回の仕合い(仕事)の相手は、豊田の吉橋久美子氏、中野方の長江賢太郎氏、そし
てまだ見ぬ坐衆の方々。

お二人はいずれも長年の好敵手です。再会が楽しみです。



ところで、僕の言う「人間関係の地獄」は、長江賢太郎氏の言う「自然農法」と重な
るところがあります。

自然農法のどこが地獄なのか?

一度長江氏の畑をみせていただたことがあります。

枝豆の畑だと聞いたのですが、どこに枝豆があるのか分からない。

色とりどりの雑草や虫たちで賑やかですが、枝豆は??



指さしてもらって草を分けると、あった・・けど細くって頼りない感じ。

しかし枝振りはよく締まって、少々引っ張っても地面に張り付く力が頑固で気合が
入っています。

日ごろスーパーで見るのとは全然違っていました。が、これが生命力と栄養をもつ自
然の枝豆。



自然農法とは農薬も使わず人為的な手助けも一切せず、自然の発生力に任せる農法で
す。

一から十まで人の手で管理する農法とは違って、雑草に養分を採られ、虫に葉を食べ
られながら

それでも実をつけようとする「勢い」と「生命力}が作物に備わるそうです。



この説明はそのまま円坐に当てはめることが出来ると思います。

守人は人為的な手助けはせず、坐衆同士の仕合に立ち会い、見届け人となります。

あるいは守人自ら受けて立ち、悔いを残さぬ仕合を挑みます。



坐衆の生きる勢い、生命力、立ち会う力が「円坐畑」を実らせていきます。

守人も坐衆もともどもに「雑草魂」を体現して、円坐畑に根付いていきます。



こうして他のどこにもない個性的な「自然の畑」と「滋養豊かな実り」が生まれま
す。



表題の「なきひとの面影とともに生きる」には自然農法がふさわしい。

自然(じねん)の円坐舞台で仕合を重ねれば、「なき人が我々の面影とともに生き
る」のだと言い放つ生命力が

立ち上がってくるでしょう。



以下のサイトで主催者の案内文をご覧くださいませ。



                          枝豆好き はしもとくにひ
こ(Sw.Deva Premi)







■◎2月22日〜24日@豊田、◎7月17日〜19日@恵那、◎11月6日〜8日@恵那

なきひとの面影とともに生きる(「いきて」「ゆく」を考える の後継講座 )

長江賢太郎さんとともに、橋本久仁彦さんをお招きして。

https://www.facebook.com/events/774440076389627/?event_time_id=7744400830562
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