[SIJ: 20030] 寒蝉鳴・盆休み~円坐・影舞道 夏の一座~ご案内

SIJ sij @ sannyas.jp
2019年 7月 13日 (土) 16:56:36 JST


皆様へ。

表記のように、「円坐・影舞道 夏の一座」をご案内いたします。

「人間関係」という言葉は、僕が高校生の頃、自分の人生で自分自身が本当に関心があるものを知りたくて、
ノートに挙げていったキーワードの中にあった言葉です。
「野球」や「音楽」や「旅」「読書」といった言葉の中に「人間関係」がありました。
そして、本当の本当には別に無くてもいいものに斜線を引いてみました。
すると最後まで残ったのが「人間関係」でした。

これに斜線を引くと、もう本当に何も無くなってしまいます。
本当に何も無いところに、「我々」は「あなた」を見出し、同時に「自分」を立ち上げ、同時に「外と内」を区別し、
同時に「関係」すなわち社会を創り出したのでしたね。

あの頃はそんなことは意識していませんでした。
あれから45年経った今は、公私ともに「人間関係」そのものの中にいて、それを日々生きており、それを自分の人生の仕事にしています。
僕にとってこの半世紀を費やして辿り着いた「人間関係」とは何であったのか。

僕にとっては明確な景色、了解があります。
これまで60年間生きてきた中で、見えぬ目を精一杯見開いて、おぼろな夢の世界の中で、
人との出会いの悲喜こもごもの人生を通じて、ようやくはっきり見えて来たもの。
しかし実は最初からそれしかなかったもの。

大学で講義する時には、難しい言葉を使うことがあります。

いわく「空」いわく「縁起」いわく「般若」。
いわく「自力」いわく「他力」いわく「如来」。
いわく「円坐」いわく「影舞」いわく「未二観」。

しかし、この案内文をしたためております時に、僕の脳裏にありますのは、
この2019年に、千葉で「夏の一座」を立ち上げようという思いを抱き、
一緒に話し合う時間を重ねながら、とうとう開催にまでこぎつけた三人の友の顔です。

僕が20数年前、大学勤務時代に出会った今西道子さん。当時の面影が今もご本人に重なって見えております。
ある日、遠方から僕の自宅を訪ねてくださって、彼女がお座りになった部屋の位置まで覚えている益子智美さん。
いつも温かい叱咤激励を頂いております。
10DAYS円坐、穂高8日間円坐、円坐守人研鑽クラスなど多くの時間をご一緒し、
今も引き続き良き旅の道連れとして歩みを共にする大島有一さん。

先ほどの電話での打ち合わせで、お三人から「夏まで死なないでね!」との言葉をいただきました。

「生き死に」のことを語り合ってきた三人の方々との過ぎ越し方を思いますとき、
察するに、この方々は僕の人生の最期までお付き合いいただける御心積もりなのであろうか。
僭越ながら、僕はそう感じております。

死がお互いを分かつまで、と言挙げすれば、なんだかまるで結婚式で新郎新婦が誓う言葉のようでもありますね。
しかし僕が子供のころから夢見ていたのは、そういう「人間関係」でありました。
このたびの人生で生きてみたかったのは、そういう「仲間」や「友」との関係でありました。

やがて僕が老いの中に衰え、自分が誰だったか分からなくなり、目の前の方も誰だったか知らず、
ただひとり、「自分」という意識も内外の区別を無くして、再び世界に四散してしまっても、

そして、この三人の友の身の上にも、これからの未来が降りかかり、人生の転変があり、
もはや二度と会えなくなるようなことになったとしても、

僕は時と空間を越えて、また再び、今、この言葉をしたためている僕として、
今西道子さん。益子智美さん。そして大島有一さんと親しくお目にかかります。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

このたびの「寒蝉鳴・盆休み ~円坐・影舞道 夏の一座~」開催決定の儀、心よりお祝い申し上げます。


    寒蝉鳴・盆休み ~円坐・影舞道 夏の一座~ 守人・影舞人  橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)


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寒蝉鳴・盆休み ~円坐・影舞道 夏の一座~
     キャスト募集のご案内
   2019年8月11日(日) 〜 8月13日(火)
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橋本久仁彦さんを守人としてお迎えし、
千葉を舞台に円坐・影舞の場を開催いたします。

3日間の大半を過ごすのは
古民家ゲストハウス「わとや」。

日本の里山の原風景が残る地で、
ご縁あって集った方々と、時には円坐に座り、
時にはその地を感じ、時には影舞を舞う。

最終日にはこの日限りの夏の一座と称して、
影舞舞台公演もいたします。

※ タイトルの「寒蝉鳴」は
お盆の時期をあらわす七十二候のひとつで、
「ひぐらしなく」と読みます。


イベントページはこちら
https://www.facebook.com/events/2265653893675879/


◆日程┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・2019年8月11日(日)〜13日(火) (2泊3日)
・集合: 8月11日(日) 11時 JR土気駅 南口
・解散: 8月13日(火) 16時半予定 JR東金駅前

◆会場┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・古民家ゲストハウス「わとや」
  http://watoya.com/
  https://matcha-jp.com/jp/5907
 千葉県夷隅郡大多喜町筒森810
・クマの森ミュージアム
  https://www.facebook.com/eco.chiba/
 千葉県長生郡長柄町針ケ谷1589-11
・影舞舞台公演会場(調整中)
 千葉県東金市内

◆概略┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・円坐・影舞を中心に置きながら、
 会場近隣の豊かな自然とともに3日間を過ごします。
・初日は主催者の1人、ローサのチェーンソーカービングの
 師匠のお宅であるクマの森ミュージアムに車で移動して
 昼食とチェックインを行います。
・宿泊は2晩とも養老渓谷にある古民家ゲストハウス「わとや」。
 ご主人が移住してコツコツと手を加えてきた古民家ゲストハウスです。
 こちらのご主人が作ったお米を釜で炊くご飯は絶品!
 夜には焚き火を囲んで、晴れていれば流星群が見れるかも!?
・2日目は近隣散策などしつつ円坐・影舞をし、最終日にそなえます
・最終日は東金市内会場で、13時より影舞舞台公演を予定しています。

◆参加費┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・早割: 48,000円 (7月10日(木)までにお申し込みされた方)
・一般: 53,000円
・参加費に含まれるもの:
 宿泊費、初日の夕食から最終日の朝食までの5食分の食事代、
 円坐・影舞等のワーク費

◆募集人数┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・10名程度
・7名以上のお申し込みで成立とします。
・7月16日(火)までにお申し込みが7名に満たなかった場合は、
 中止にさせていただくことがあります。どうぞご了承ください。

◆お申込み/お問い合わせ┈┈┈┈┈┈┈┈
・hgrs794 @ gmail.com
 までお寄せください。折り返しお返事差しあげます。
・お申し込みの際にはメールの件名を「寒蝉鳴・盆休み 申し込み」
 とし、本文に下記項目をご記入ください。
 ① お名前
 ② ご連絡がとれるメールアドレス
 ③ 当日ご連絡がとれる電話番号
 ④ 当日のご来場方法 (車か電車か)

◆主催┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
今西道子、益子智美、大島有一

◆守人┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・橋本久仁彦さん
・橋本さんのプロフィール、および円坐・影舞については
 本文末尾をご覧ください。

◆キャンセル規定┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・ご都合によりキャンセルされる場合は、
 以下のキャンセル料を申し受けます。
 どうぞご了承下さい。
・実施日の前日から起算してさかのぼり、
 21日目にあたる日以前(〜7/20): 無料
 20日目にあたる日以降(7/21〜8/4): 20%
 7日目にあたる日以降(8/5〜8/9): 30%
 前日(8/10): 50%
 当日(8/11): 100%


◆主催者からの言葉┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

┈┈┈┈┈┈┈益子智美より┈┈┈┈┈┈┈

何でだかまたくにちゃんを呼ぶ企画を立てている
全国あちこちのまだ行ったことのない場所で
会ったことのない人達がくにちゃんをよんで円坐や影舞をしている
『あぁ面白そう!いきたいなぁ!!』と
くにちゃんのfacebookに案内文がのるたびに心が動く

去年位までは、くにちゃんと過ごす時間から
やっぱり何かを学ぼうとしていたと思う
でも、学びたいと思っている事じゃない学びがね、いつもある感じ
学ぶっていうより気づくの方が近いかな
それはくにちゃんが居るから起こるのかもしれないけど
決してそれだけじゃなくて
そこに集まった人達もあっての化学反応みたいな

誰かの開いている場に行った方が本当はずっと簡単で
楽ちんな気がするんだけど何でだろうね?企画している私がいる

それはみっちゃんやボウズィの存在が大きい
くにちゃんに出会いに行ったはずが
先ずはみっちゃんと私だったり、私とボウズィだったり、
みっちゃんとボウズィの出会いがあって
そこから3人の出会いになっていって
この2人とくにちゃん呼んだら何だか面白いこと出来るんじゃないかなぁ?と

3人で色々話しては脱線しまくったり
キーワードのような言葉を出して誰かの目がキラッとなったり
どこまで膨らます!?ってくらいにやりたい事を膨らませては
扱いやすい大きさに戻してみたり
そんな時間が楽しくて、ワクワクする

いっそこのまま計画を立ててるだけでもいいかもな…とか思ってしまったり笑

今回は「縁、ゆかり」が表や裏になりながらテーマとしてずっとあった
私にとっての千葉は小さい頃は毎年家族や親戚と海水浴に来ていた思い出や
絵の学校に行っている時にスケッチ旅行で行っていた港があったり
最近でいうと今回集合場所になっている土気駅には週1で約1年間通っていた
その時にクマの森ミュージアムの村長に出会って
一時は本気でチェーンソーカービングをやりたいと思って
どのチェーンソーを買おうか悩んでいた時もある
私にとっての千葉は小さい頃は旅行する場所だったけれど
今となっては友達や知ってる顔が意外に多い所になっている

そんな人達の面影と一緒に丸くなって座ったり(夜は焚き火をかこんだりして)
そこにはこられなくても私と一緒に指を合わせて影舞したり

そうそう、ちょうどこの時期は
ペルセウス流星群が見られるドンピシャの時でもあり
もしかしたら宇宙からとかも仲間がやってきて
影舞とか出来ちゃうかも!?とか思ったり

こんな風に道を外れ出しても笑ってくれてたり
あぁ、また始まったと思ってくれたりする仲間に出会えた
これって結構すごいことだと私には思うよ!
(生き急いでいた時には出来てなかったもんね)

もう1つの楽しみはね
初めてくにちゃんと影舞をしようと思っている
くにちゃんが死んでしまった時に
「くにちゃんとはとうとう影舞が出来ずじまいだったね…」と言いながら
冷たいくにちゃんの指に触れてみたい
なんてひねたことを思っていたんですが
やっぱり生きているうちに誰かに見届けておいてもらいたいなと笑
初めて触れるくにちゃんの指先はどんななんだろう?
何の曲かけようかな?
理想は宿泊するわとやさんのデッキにロウソクを並べて
月明かりとロウソクの灯火の中で影舞したいな

そして見届けてほしいな
生きてきた
生きていく
色んなものを引っさげて
ここまでは辿り着いた姿を

益子 智美(ローサ)


┈┈┈┈┈┈┈今西道子より┈┈┈┈┈┈┈

千葉での生活は16年になる。

それは結婚した年月でもあり、東金での生活は13年。
長男が生まれると同時に東金での生活がスタートした。

私は、あまかった。一緒に生活するということを。
さんざん自分を追い詰めて、家を出た。
子どもたちとばらばらにもなった。惨めだった。
気づいたら千葉に友達一人いなかった。
生まれた大阪に帰りたかった。

人と繋がるということが全くなくなっていた。
三人の子どもと、どう生きるかが目前にあり、
神様が在ること、そして突如見つかった自主保育の仲間と出会い、
それからすべて広がっていった。

5年で景色がずいぶん変わった。
それ以前は全く自分で作り上げてきた迷路だった。

「<千葉>にくにちゃんを呼ぼうとした」のではなく、自然とそうなった。
東京でも会場を探したりしていた。
でも、なんだか千葉になり、
そして、私の住む東金で公演をしようとしている。
影舞のことも、場でつくる空気も感じも、
大事な友人たちにみな知ってもらいたいと思うくらい。
静けさの中の深い祈りと、湧き水のようにあふれる呼吸、響きを。
空間にたつ澄んだ空気の冷たさを。

先日くにちゃんから「みっちゃんは泥臭い」と。
なんかこう、「どうしようもないもの」とそれを私はみている。
文字どおり、田んぼに入ってるから泥臭い私もいる。
そう、今田植えの準備中だ。
はて、地主の娘さんからも
「どうして、こんなことしているのですか?」
と尋ねられたくらい、わざわざなことを続けている。
子どもとその時間をもちたいというのもあるが、
泥に足を入れること、鳥のさえずり、風のそよぎ、草のにおい、
すべてがたまらない。

やっと泥臭い、どうにもならないような私というものが、
自分自身にも見えてきていて、それと生きていく、
ましてやそれを味わって生きていくしかないのだということを。
不味いものとしか思えなかったことが、どうやら、これでもいいのかなと。
泥べたべた塗られて前がみえなくて身動きできない状態でも、
そこから立ち上がっていくような生き方でありたい、かな。

生活と根ざしていけるように。
縁・ゆかりもなかった地が、
魅力的で味わい深い仲間がいっぱいいる地となった。
やっと千葉の色合いが変わってきたなぁという感じ。
今の新緑のように濃淡を深めていきたい。
その葉っぱの間にある、陰陽と光のさすところから、
何が生まれるかみていきたい。

今西道子(みっちゃん)


┈┈┈┈┈┈┈大島有一より┈┈┈┈┈┈┈

「自分には帰るべき場所がない」

という感覚を持ち始めてから、もうずいぶんと経った気がする。

2年前に実家を処分したため、現在、自宅以外に特に帰る場所はない。

だが、そうした文字通りの意味だけでなく、
深く縁のある土地や、「いつかあそこに還りたい」と思うような、
気持ちの拠り所となるような場所を持たずに生きてきたなあと思う。

なにか根無し草のようだ。

今回橋本久仁彦さんをお呼びしてひらく三日間も、
「ここにくにちゃんを呼びたい!」
と思うような場所が自分にはないこともあり、
一緒に主催しているみっちゃん (今西道子) と
ローサ (益子智美) にとって縁ある場所でひらくことになった。

そんな背景もあって、今は開催地と唯一縁のない主催者という、
フラフラと定まらない位置にいる。

でも、それは別に問題ではないのだろう、と思い始めている。

主催者としてであろうとなかろうと、
その地に足を運んで三日間なりを過ごせば、
そこで出会った人たちとともに、
そこが自分にとって新たに深く縁のある場所になっていくのだろうから。

2年前、ちょうど同じような状況で訪れた小谷村が、
地元に根を下ろす人々や雨飾山の姿と共に、
自分にとって忘れがたい場所となっていったことを思い出す。

この数年間で訪れた場所やそこで出会ってきた人たちを思い返すと、
色合いや濃淡の違いはあれど、どれも忘れがたい記憶と共に残っている。

その中には、再び訪れた場所や何度も再会している人もいれば、
二度とめぐり合うことがないかもしれないような人もいて、
顔もよく思い出せなかったりもするけれど、その面影は残り続けている。

自分は帰る場所を持たない身ではあるけれど、
めぐりあう場所や人々との間にそうしたものを重ねていけるのだとしたら、
自分が生きていくにはそれで十分かもしれないとすら思う。

こうした心境の変化は、4年前の父の死や、
その父をどう弔うかといったことに加え、
それらと並行するように関わりを深めていった
円坐や影舞の影響が大きかった。

上に書いてきたことは、
何もこうした三日間のような場に限ったことではなく、
おそらくふだんの生活のそこかしこに見いだせるものなのだろう。

自分はそうしたものに支えられながら生きているような気もするし、
「その中に還っていきたい」と、
いつか思う日が来るのかもしれないと思う。

今回の三日間はそうした気持ちで支度を調え、円坐に座り、
出逢った方々と影舞を舞わせていただきたいと思っています。
ご一緒くださるご縁をお待ちしています。

大島有一 (ボウズィ)


◆橋本久仁彦さんプロフィール┈┈┈┈┈┈

1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、
アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した
パーソン・センタード・アプローチに基づく
「教えない授業」を10年間実践する。

その後アメリカやインドを遊学し、
人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する
有機的な組織作りと、エネルギーの枯渇しない自発的で
創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けている。

1990年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。
様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。

2001年12月に龍谷大学を退職、
プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、
プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、
サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、
コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に
生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ねるも、
10年間の活動を終え、その看板を下ろす。

現在は、日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台
「きくみるはなす縁坐舞台」の一座「影舞山月記(鬼)」の座長。

生涯を通じて手掛けてきたミニカウンセリングは
位相を進めて「未二観」となり、円坐は同じく「円空坐」となり、
縁坐舞台も「縁起の坐舞台」と成って様式が整い、
生死・顕幽の境を超えて不生不滅の景色を展望する三つの終の仕事となった。

仲間も変遷し、この頃は生死を共にする有縁の仲間(一味)と連れ立って、
毎日がこの世の名残りの道行である。
高野山大学スピリチュアルケアコース講師。円坐守人。影舞人。

―「2019バンコクまろうど円坐・影舞」より
( https://www.facebook.com/enzabutai/posts/2420479561329808 )


◆円坐とは┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

円坐とは、円坐守人の呼び掛けの言葉に呼応して、
定められた場所と刻限に寄り合った坐衆(参加者)が、ただ円に坐り、
成り行き(道往き)を共にすることです。

円坐守人は、円坐の呼び掛け人であり、円坐の坐衆の一人でもあります。
円坐守人の役目は、円坐の場所と刻限の決定(結界)を尊重し、
「円坐」という出来事(アラハレ)に目を見張り、
話し手の言葉(事の端)に耳を澄ませ、円坐守人として自らに約束した
「聞く」という道を果敢に辿り、刻限まで円坐(坐衆)と共に在ることです。

―Kunihiko Hashimoto Official Website より (現在閉鎖)


◆影舞とは┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。
特に、詩や歌曲などと共に舞うと、
詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、
聞き慣れて当たり前に知っていた曲がこの曲ってこんな歌だったのか、
と時には涙になるような感動をもたらすことがあります。

影舞では、舞い手は楽曲をほとんど聞いていませんので、
歌の心を表現する意図を持つことができません。
にもかかわらず、影舞を見る人は、
詩歌そのものの心を普段より深く感じ取ることになります。

影舞とは影間居(影の間に居ること)。
「自分を表現する」から退きあげていく稽古。
静まる(鎮まる)稽古。「自分」という熱が冷めていく稽古。

舞い手が無垢な在り方で、自分を踊らず、ただそこにいる(間居)と
元々の詩歌の言葉やニュアンスが自由になって
向こうから立ち上がってきます。

―Kunihiko Hashimoto Official Website より (現在閉鎖)


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