[SIJ: 20916] 円坐いろは ご案内
premi
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2020年 8月 29日 (土) 14:27:33 JST
皆様へ。
お盆を過ぎて、縁深く親しい関わりのあった友人の突然の訃報を受けたじろいでいます。
「自分」という歴史に欠かせぬと感じる人が亡くなり、もうその方の肉声は聞けず、その方のまなざしにこの身をさらすこともないということ、
もうその方がこの世にはどこにもいないのだということを覚悟した時、それは僕にとって円坐に坐り、影舞を舞う時でもあります。
円影の坐衆となった時に、その方と僕との過ぎ越し方と、二人の間柄のいにしえ(現れ来て消え往く姿)を、親しく辿ることができるからです。
円坐という寂滅の舞台の上で、その方の笑顔とお声は親しく僕をまなざし、辿ってくださいます。
お互いの「冥福」を思い合い、これからもともに円坐影舞顕幽の出稽古を続けて参ります。
明日から僕は一家で宮城県の丸森や仙台の坐衆方との円影の舞台に向かいます。
大阪では僕が主宰しております「円坐影舞 有無の一坐」の副坐長松岡弘子が「円坐いろは」を開催します。
東と西で結ばれる円影の坐舞台から響き渡る坐衆の皆様の、この世でたった一つ、一期で一会の「こえ」があります。
それは「いろはにほへと散りぬるを・・有為の奥山けふ(今日)こえて」ゆくいにしえの「こえ」です。
皆様の人生のはるかな「いにしえ」から越え来たり、またはるかに「いにしえ」へと向かう道の先、
咲いて裂かれて有無と生死の影をこえゆくいにしえの「こえ」です。
面授という言葉があります。同じひとつの空間に身体を置いて向かい合い、お互いの声に身をさらし、振れ合い、「道」を受け取ってゆくことです。
有無を言わさぬ、という言い回しもあります。
ここでは「強引に」という世間の意味とは違って、有無を越えゆく道、有るとも無いともいえぬところへふれあい、ふりきってゆくことです
そこにあるのは「この身」として生まれてからのすべての出来事である「有」と、生まれる前と生き終えた後の「無」です。
両者は切っても切れず、分けて「分かる」こともできないので、ただ「うむ」と深くうなづくことになる。
それを有無の舞台と言い、有無を言わずに坐る我らは「円坐影舞 有無の一坐」と名乗ります。
若くしていにしえの国へと旅立ったわが友に、そしてわが友を迎え入れてくださる、時と場所を越えたすべてのいにしえの坐衆方に向かって、
みちのくの丸森、仙台から、そしてなにわの高槻から「有無の円坐」と「円坐いろは」を掲げ、捧げ、坐衆方皆ともどもに、過ぎ越し方の互いの間柄を深謝し、
いにしえの国での懐かしい再会に期したいと思います。
暑さの折、皆様御身お大切にお過ごしくださいませ。
円坐影舞 有無の一坐 坐長 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)
昨日発信の円坐いろはの案内です。
雨あがりの八月。
蝉の鳴き声がひとときしずまり、
雨音としぶきが空蝉の面影運び、
娘の横で揺れうたた寝しながら、
車窓から夏の午後の景色が見え、
雨上がりの道に水たまり、
雲井の空映える、
今日は、そんな夏空の夕刻です。
先日の夕刻は、
西の空が茜に染まり、
大きな落日はまるで、
目が酸っぱくなるような、
まぶしい梅干太陽でした。
それはそれは、
身に沁み入る懐かしい風景でした。
では「円坐いろは」のご案内です。
今週末の直前の案内となっています。
八月三十日(日曜) 午後14:45〜17:15
未二観影舞 舞台稽古を開催いたします。
もしよかったら、
夏稽古ご一緒ください。
ご縁をお待ちしております。
円坐いろは 守人 松岡弘子
< 円坐いろは 〜 夏稽古 開催要項>
◆ 日時 令和2年8月30日 日曜日 14:45〜17:15
◆ 場所 JR高槻駅前 和室
◇ 内容 未二観影舞 円坐舞台
◇ 会費 二千五百円
◇ 守人 松岡弘子
◇ 定員 少人数
◇ 申込 soumon.enza @ gmail.com 松岡
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