[SIJ: 20828] 相聞茶堂@浦堂 ご案内

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2020年 7月 12日 (日) 14:12:15 JST


皆様へ。

 

新聞紙上には九州の大雨で亡くなった方々の最期の姿が伝えられています。

妻の叫ぶ声に水に浮く畳をよけながら玄関に出てみると、腰まで濁流に浸かった妻がこちらを見つめている。

妻に対して叫んだその瞬間、流れにのまれて見えなくなった。

妻のそばには手すりがあった。それをつかめとどうして言わなかったのか悔やみ続けている。

しかし、妻の最期のまなざしは「後は任せたよ」と言っていたように思われると。

 

今日、円坐の盟友より、お身内の方からの訃報の言葉を届けて頂きました。

「おはようございます。今朝未明に義母が亡くなりました。家族に見送られて逝かれました。

お見舞い頂いたり、ご心配頂き、ありがとうございました」。

 

 

以下の相聞茶堂のご挨拶文に、

「語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だ」と記されています。

 

この「他者」とは我々生者のことであると同時に「死者」のことでもあります。

「土地」とは、今までの、そしてこれからの無数の死者の在所でもあります。

 

こうして「相聞茶堂」は、生きていることやものだけを良しとする我々の人生態度に対して初めて対峙し、仕合う場所となってあらはれます。

死んで往くことを「満ちた」と言う言葉で表してきた土佐の国において、国境の街道に置かれた茶堂は、異国からの旅人と出会う場所であり、

「まろうど」としての神に出逢う場所であり、そしてまた懐かしい死者と語らう場所でもあったのだと思います。

 

以前、高知の池澤良子さんの導きを得て、土佐の国の奥へ円坐旅を歩いた折に、今も残されている実際の茶堂を訪ねました。

集落のはずれに建てられたその茶堂は、4本の木の柱が2~3メートルの高さに、畳4畳ほどの板の間と屋根を支えている高床式の小屋でした。

 

この「高さ」は村の属する「此岸(この世)」から「離れている」ということを示しているようです。

だからこの茶堂では異国の旅人をまるで同じ村の友のように迎えることができ、日常の悩みは逆に、

この世の常識に距離を置いた先祖や死者の見地から見直すことができたのだろうと思います。

 

相聞茶堂として高槻市の浦堂の場所を提供してくださったKさんは、一度少しお目にかかっただけなのに、二度目には石切の円坐守人クラスにやって来られ、

コロナによる自粛期間であったにもかかわらず、これは必要だからと直ちに高槻市での未二観の場を要請された方です。

70年余の生涯を障害者や弱者と呼ばれる方々に寄り添って、ただひとり歩いて来られたその姿勢にふれて僕も、そして息子の橋本悠も、

相聞茶堂守人として名札を掲げさせていただきます。

 

浦堂にあらはれた土佐の茶堂、「相聞の円影未二の茶堂」に名を連ねさせていただけること。

その一事を我が身の幸せに思い、また光栄に感じて身を引き締めております。

 

 

             相聞茶堂@浦堂 守人の一  橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)

 

 

 

 

みなさま

 

来たる、

令和2年7月16日より開催が始まります。

 

「相聞茶堂@浦堂」ご案内です。

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。

知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。

 

 

「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、

生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。

 

 

その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、

我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、

そんな、ちいさなわたしを通じて、世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。

 

 

歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。

 

 

人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ

語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。

 

 

わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。

寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。

寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。

 

 

そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。

 

 

同時に、この願いというものはいつの世にも願われてきた呼び声でもあるという気がしています。

 

では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

相聞茶堂 守人 松岡弘子

 

 

 

< 相聞茶堂@浦堂 開催要項 >

 

開催日時  第三木曜日 (当面の開催日 7/16・8/20・9/17)

      10時 JR高槻駅 集合

      18時 JR高槻駅 解散

 

開催場所  ・待合せ 10時 JR高槻駅(市バス、もしくは、車で移動します)

      ・各所へ移動 随時、未二観・円坐・影舞

      ・15時~17時 大阪府高槻市浦堂2丁目21−2 きらら浦堂

 

茶堂守人  橋本久仁彦  松岡弘子  橋本悠

 

内容    未二観 ・ 影舞 ・ 円坐 ・ きくみるはなす縁坐舞台

 

参加費   一万円

 

申込    soumon.enza @ gmail.com 松岡弘子

 



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