[SIJ: 21064] 有無の一坐「尼崎道中」〜近松門左衛門の里・遊女塚・光明温泉ご案内

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2020年 11月 7日 (土) 20:04:45 JST


皆様へ。



有無の一坐「尼崎道中」〜近松門左衛門の里・遊女塚・光明温泉をご案内いたしま
す。



関ヶ原古戦場円坐で先駆けし、逢坂千代崎で旗揚げ公演を果たしました有無の一坐。

昨日は高槻市の保育園にて縁坐舞台を行い、有無の一坐囃子方の橋本仁美が活躍いた
しました。



まず担任の先生と仕合ってみせた華のある影舞で五歳児クラス「山組」の面々に衝撃
を与えます。

次に自ら手を挙げた圭太君が舞台に出ます。皆を意識してひょうきんに振舞っていた
のですが、

この7月に四国四万十から帰って心境著しい橋本仁美の真剣なお辞儀に引き込まれる
ようにお辞儀を返します。

圭太君にとっては生まれて初めての影舞のはずですが、圭太(五歳児山組)×仁美
(有無の一坐)の影舞舞台は、

それは見事な仕合となりました。

約4分ほどの大人の影舞と同じくらいの時間を、僕は目を奪われて見入っておりまし
た。



五歳の男の子の様(さま=影舞舞台によって生じる事物の輪郭覚醒)として立ち上が
る凛とした時空を何に例えればいいでしょうか。

教師やカウンセラーの仕事をしていた時代には、そこが自分の死に場所だとはとても
感じられなかったのですが、

僕にとって「有無の一坐」は、そこで死に果ててこの人生を終えても良いと感じるこ
とができる「有無の一坐」なのです。



晩秋の尼崎を道中いたしましょう。





         有無の一坐 坐長 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)









< 有無の一坐「尼崎道中」 〜 近松門左衛門の里・遊女塚・光明温泉 開催要項 >



◆◇ 日時 令和二年十一月八日日曜日

◆◇ 集合 九時 @阪急 神戸線 園田駅

◆◇ 解散 二十一時頃 @阪急 園田駅

◆◇ 場所 兵庫県尼崎 ◆◇ 募集 数名

◆◇ 内容 円坐 影舞 未二観 縁坐舞台

◆◇ 会費 二万円 (昼食夕食入浴代込)

◆◇ 申込  <mailto:soumon.enza @ gmail.com> soumon.enza @ gmail.com

◆◇ 主催 有無の一坐 「尼崎道中」







みなさま

先日10月11日、

逢坂難波の都 千代崎にて、

有無の一坐 きくみるはなす 逢坂千代崎相聞旗揚げ公演 でした。

その節は誠にありがとうございました。


来たる11月8日日曜日。



「尼崎道中」と名づけまして、

有無の一坐は坐衆方と共に歩き、

一つの円影未二の舞台となって・・

辿り辿られ諸共に、尼崎道中参りです。


このたびの開催にあたりまして、

有無の一坐「尼崎道中」坐衆方、

数名募ります。



関心のある方は是非ご一報下さい。

どうぞご縁をお待ちしております。



ところで、

この尼崎の地は、

縄文時代、かつて、海だったことから、

海崎・海人崎と明記された時代もあり、
神崎川や猪名川によってできた砂州が、

陸地化し港町として栄えていきました。

長岡京時代、

淀川と神崎川は結ばれ、

難波・京・大和の都と、

西国・瀬戸内を結ぶ水運の要衝となり、

平安時代後期になると、

神崎の地は人や物の往来が活発になり、
今様など芸能を披露する遊女達の集う、

天下一の楽地となり、
江戸時代の初めには、

浄瑠璃や歌舞伎の脚本を数多く手がけた、

近松門左衛門が、晩年廣濟寺本堂の奥の、

近松部屋において、

数々の脚本を生み出してまいりました。



この寺の境内には、近松の墓もあります。


近松の死後は、

彼をしのんで逢坂の役者達は、

その近松部屋で舞台の上演をしたり、
参詣する役者が後を絶たなかったのも、

なんだかわかるような気がいたします。

わたしは昭和40年代後半の幼い頃から、

近松の里のそばの尼崎の若王寺の家へ、

大好きな祖母に会いに毎週末泊まりに行ってました。



昭和50年代後半、

10代後半の頃に住んだこともある、

懐かしい家も阪神大震災で全壊し、

当時の家屋は、もうありませんが・・



若王寺村の産土神を祀る、

かつて雨乞い神社だった熊野大神社は、

家の裏にあり、

おばあちゃんはよく、

お百度詣りをしていました。



その熊野大神社で、

先日石切相聞茶堂で試みた、

お百度未二観をして、

往時の風景を映してみたり、



祖父が晩年勤めてた大学も、

今はもうありませんが跡地にて、

午前中の稽古の時間を設けたいと考えています。



そんな懐かしくも新たな土地において、
有無の一坐「尼崎道中」を企画させていただくことは、

身に余る光栄です。


過去に、かつて、毎週通ったからとか、

以前住んでいたことのある土地だから、

というのでは寧ろ、なくて・・


『今も、昔も、この先も、この尼崎の地にずっと生きている。』と。



関ケ原古戦場円坐を一気に駆け抜け、

千代崎相聞公演の初舞台に立ち会い、

ようやく、言えるようになりました。


「尼崎道中」の朝は、皆で、稽古をし、

昼食を一緒にとり近松の里へ参ります。



午後は、

近松部屋や近松のお墓のある廣濟寺、

趣きのある池や庭園のある近松公園、

そして若王寺の熊野大神社など・・



さらにそこから神崎川へ向かって、

ちょっと歩いていきますと、

かつては交易で栄え宴遊で賑わう、

神崎の地があります。

今はひっそり遊女塚だけが残っています。



法然は、

讃岐へ流刑される際立ち寄った、

この神崎の地で民衆に念仏を説き、

念仏を授かった、五人の遊女達は、

わが身を恥じて諸共に手を合わせ、

神崎川に入水しました。



 むかし 神崎川に ゆり上げ橋といふあり

 遊女 この川へ 身を沈めたるしかばねを

 水中より ゆり上げしより 橋の名となりぬ



ゆり上げ橋に打ち上げられた五人の亡骸は、

憐れに思う住民によって岸に葬られました。

遊女塚にて円影未二の影舞に辿り着く頃は、

日も暮れからだも冷えてくるかと思います。



地下水を焚いた庶民的な銭湯が、

徒歩数分の近くにありますので、

光明温泉に一緒に入ってあったまり、

弥生の道をそぞろ歩き一路園田駅へ、

参りましょう。



美味しいお料理のお店があるようなので、

一同会し道中最後の宴を設けて、

尼崎道中の一日に献杯したいと思います。



このような流れを予定していますが、

その日の天候やその時の起こる事に応じて、

適宜、内容は臨機応変に変わって参ります。



明日は下見に行ってみようと思います。

正直心踊るのを抑えきれずにおります。



なにはともあれ、

たっぷり盛沢山の、

長い一日となりそうです。

共に歩く事は大事な稽古でもあり、

この日はゆっくりと歩きますので、

足に自信のない方でも大丈夫です。

有無の一坐「尼崎道中」堪能いたしましょう。



ここ最近、

人を利用するだけ利用して、

都合が悪くなるとポイっと使い捨てる、

この世の一部の人の話ではありますが、

一見花々しい見た目とは裏腹に、

闇と業の深さにふれ衝撃を受け、

やはり思うのです、

かがやく光の粒の差し込む斜陽の道を、

仕合を重ね歳月を重ねた道連れと共に、

時にぶつかり時に労りながら、

道中を共に歩いて参りたいと。



このたびのご縁、有無の一坐一同、

心よりお待ち申し上げております。





「有無の一坐」の一 松岡弘子

















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