[SIJ: 21343] 4月の有無の一坐道行きのご案内
premi
ptproduce @ bca.bai.ne.jp
2021年 4月 3日 (土) 10:02:34 JST
皆様へ。
4月の有無の一坐の道行き名残り旅、旅程をお知らせいたします。
一昨日は福井・若州一滴文庫くるま椅子劇場での縁坐影舞舞台でした。
昨年11月の第一回舞台稽古の時と同じく越前・圓鏡山長慶寺ご住職の泰円澄師の一坐入りを賜わり
再び重厚な影舞舞台の現成となりました。
本物の竹藪の青い色で包まれる幽玄の影舞舞台はそのまま彼岸舞台の光輪です。
収録した影舞の映像は御影舞台となり逆に彼岸からみる風景のようです。
影舞の縁坐舞台空間には普遍的な「コトバ」が顕れます。
使い慣れた日常の言語とは異なる、それは我々の生きた印、生かされた証そのものである「コトバ」です。
我々がくるま椅子劇場の舞台に上がることを心から喜んでくださる一滴文庫学芸員の下森さんが、
「また来てください」と前回と同じことばを手向けてくださり、
「また必ず参ります」と我々も前回と同じ思いをお返しします。
そして黒い壁と床の竹人形館にひっそりとたたずむ何十体もの竹人形。
彼らがこの若州一滴文庫くるま椅子劇場の本当の主です。
ピクリとも動かぬ竹の骨組みだけでできた竹人形ですが、ここではその「動かなさ」こそが、
見ている我々よりも本当に「生きて」動いている生々しい所作を伝えて来ます。
彼らの佇まいは我々が探求してきた縁坐舞台の「ヒトガタ」の在り方と重なります。
彼らが醸し出している時空間は「きくみるはなす縁坐舞台」と同じ位相であると思います。
浮世に流されて生きる我らの心底を見通す竹人形たちの深い眼光に見送られて我々は舞台を後にしました。
そのまま有無の一坐は夜の若狭湾沿いの道を走り、神子(みこ)と言う名の小さな漁村へ辿り着きました。
行先の宛てなきドサ廻りですので、宿の予約もなしの行き当たりばったりの道行きでしたが、
偶然良き方に巡り合い、その方がご縁をつなげてくださった『松岡』という看板のかかった宿で旅装を解くことが出来ました。
風呂を済ませて人心地つき、あとは寝るだけとなっても有無の一坐の稽古は続きます。
一坐では「後詰の円坐」と呼んでいる大事な円坐稽古です。
真剣勝負の円坐や舞台が終わった後にこの後詰の円坐を置くことで、
「真剣さ・真摯さ」はそれが由来する「新鮮さ」「無垢さ」に届きます。
そこで届き合う「ことば」は日常生活で我々がやりとりする共通言語とは異なる位相に存在する言語です。
その境位での「コトバ」はもはや単なる意味情報のやりとりではなく、この世の時空間の光度となって揮発するのです。
やがてこの人生を終えて往かねばならない我々の絶対的な「予定」と釣り合い、
さらにそれを越えてゆく具体的な道の様相を、この「揮発」という物理用語はよく示しています。
あくる日、宿のおかみさんに「浜を出て左の方を見てよ」と念押しされて海辺へ出ました。
左を見ると若狭湾に突き出た半島を形成する山一面に山桜が咲き誇り、まるで半島に虹が架かったようです。
昨夜集落に着いた時は暗くてまったく見えなかったのでびっくりしました。
知る人ぞ知る神子の山桜が満開の姿をみせるハレの日に我々はこの地に辿り着いたのでした。
一坐は寄せる若狭湾の波に足元を浸して影を舞います。
お花見の地元の方や旅の途中に立ち寄った方々が眼差しを送ってくださいます。
こうして若狭・神子の海の渚にて、円坐影舞有無の一坐は乾坤一擲のハレの舞台を賜わったのでした。
この神子の集落からさらに岬を先へ向かうと常神(つねかみ)という名のひなびた集落がありました。
その先は車道が途絶え、波の打ち寄せる岬の磯場を遠目に見やると、そんなところに歩道などないはずなのに、
岩が規則的に並んで何だか道のように見えます。
立ち入り禁止の札を越えて磯場に出てみると、岬の先へ向かって自然の岩を人為的に並べ
岩伝いに歩けるようにした道らしきものがあります。
コンクリートは全く使っていない自然石を並べただけの道とも言えない“道”です。
岩から岩へ海へ落ちないよう気をつけて波の寄せる磯場を岩伝いに歩きます。
突然ザザッと音がしたので目をやると、水際まで下りてきていた大きなカモシカが
人に驚いて崖を駆けあがって行きます。
15分も岩の上を歩いた頃、とうとう岬の先に大小三つの岩の島が見えました。
地図には「御神島」と記載されています。
御神島をご神体として岬の先端の岩山の上に社があったようですが、
そこへ登る岩の階段が途中で大きく崩れて崖になっています。
地名が示すようにここは海神を祭った神社だったのでしょう。
しかし過疎のためか、祭儀はもう絶えて久しいようです。
残ったわずかなお年寄りたちがこの険しい岩の道を伝ってここまで来ることはとても無理でしょう。
我々はずっと足元の不安定な磯場を歩いてきたのですが、
御神島の見えるこの地点には影舞が出来るほどの大きな黒い岩がありました。
その岩の手前2メートル四方ほどの場所にはたくさんの玉砂利が敷かれて足場になっています。
ちょうど御神島と崩れたお社の方向に拝礼して影舞が出来る自然の岩舞台です。
そこで香を焚き、雅楽の音源を使って影舞を執り行いました。
波の音やカモメの声と雅楽の音はお互いにまったく邪魔にならずに調和します。
雅楽とは自然の力、自然の体が音になったものだったのですね。
それを「雅(みやび)」といにしえのひとは呼んだのでしょうか。
我々が泊まった神子の集落より内陸側の隣にある集落は遊子(ゆし)集落、遊ぶ子という名前でした。
それが岬の端に向かって進むにつれ神子(みこ)集落、神の子になり、
そして常神集落、常在の神となって御神島へと導かれた有無の一坐名残りのドサ廻り旅でした。
円坐影舞有無の一坐の今生深謝の出稽古縁坐舞台は続きます。
ある日の朝刊の「こどもの俳句」欄で出遇った句は道の歌でした。
明日も有縁の皆さまと“存在の岩場”を伝い歩いて往きたいと思います。
「春になり 梅一輪の 道がある」
茨城県 取手市立久賀小学校三年 大竹竜太郎
★以下の旅程についてのお問い合わせは橋本(Sw.Deva Premi)enzabutai @ bca.bai.ne.jpまでどうぞ。
①4月3日(土)4日(日)は生駒石切円坐舞台守人十六番稽古のうち一番稽古と二番稽古。
②6日(火)は第二回影舞山月記(鬼)17時より昭和レトロの喫茶リエ開店。
③7日(水)は真空妙有円坐於名古屋⇒下段にご案内要項
④14日(水)第一回きくみるはなす縁坐村塾開講18時30分~22時
⑤15日(木)卯月相聞茶堂⇒下段にご案内要項
⑥16日(金)~18日(日)第一回中野方円坐守人稲妻稽古⇒末尾にご案内要項
⑦20日(火)第三回影舞山月記(鬼)17時よりマスター悠のカフェタイム珈琲時間
⑧21日(水)第二回きくみるはなす縁坐村塾
⑨24日(土)25日(日)愛知・幡豆円坐影舞
⑩28日(水)29日(木)円坐影舞有無の一坐信州松本出稽古ドサ廻り
以上。
・・・・・・・・
「真空妙有円坐」
・・・・・・・・
◆ 開催日時:4月7日 10時〜16時30分
◆ 場所:長善寺(名古屋市西区)
※詳細はお申込みの方に直接ご案内いたします
◆ 円坐守人:松岡弘子さん
◆ 会費:8000円
◆ 募集:数名
◆ 申込:man.ge.kyou2021 @ gmail.com 伊藤まで
新年早々、くぅさんのお力を借りて「真空妙有円坐」のご案内をすることができました。
あれから一カ月。ご挨拶をする間もなくあっという間に過ぎ、1月末、名古屋は再び雪の舞う1日となりました。
今年の節分は2月2日。節分が一日早まるのは124年ぶりのことだったとか。
そんな特別な節分の前日。師である橋本さんから「影舞山月記(鬼)クラスと喫茶リエ ご案内」が届きました。
そのメールには、2月2日が橋本さんのお母様の御命日にあたることが記されていました。
特別な日に、大切な時間が重なり、いっそう特別な日に…。
その日、奈良の薬師寺に足を運びました。そこがくうさんにもご縁のある寺院と知ったのは2週間ほど前、1輪の紅梅の写真から。
2週間を経て境内では白梅も開き、翌日に控えた立春を祝しているかのよう。
参拝を終え見渡す伽藍は夕陽に照らされていつも以上に輝いて見えました。
その日、もう一つ、思いがけないできごとが重なりました。
2年前に訪れた広島で、忘れがたい影舞にお手合わせをいただいた方との再会でした。
お互いに一目ではわからず、「いろいろあったんだろうね」と互いの口を開いた途端あの日のあの場所に二人で立っていました。
特別な一日。大切な時間。 …大切な人への思い。ひとのあたたかさ。
この日、出会った人々の過ごした時間、過ごした場所が重なりあって、思い出に残る一日となりました。
来る4月7日も、ご縁をいただくみなさまと共に特別の一日を過ごしたいと思っております。
本日、あらためて、くぅさんのご挨拶とご案内をお送りします。
立春(令和3年2月3日)名古屋にて 妙
・・・・・・・・
円坐守人のご挨拶
・・・・・・・・
このたび伊藤妙さんが主催されます真空妙有円坐の守人を仕ります、松岡弘子と申します。よろしくお願いいたします。
伊藤妙さんの初めて主催される円坐に、守人として参上させていただくことは、有り難く大変光栄です。
ここまでの道程をふりかえりますと、たえさんとわたしのふたりだけでは、この展開は無かったと思います。
ずっと平行線のままだったふたりの間隔が、昨年末のイブイブ円坐で、急速に接近していきました。
ふたり以外の大切な方々が、その場に立ち会い、関わり、みつめてくださったおかげで、ふたりの間の磁極が際立ち始めて、不思議なことに極と極が引き合うようになりました。
ご縁とは、この世の名残りなのでしょうか。
近松の浄瑠璃ではありませんが鐘の音が聞こえてきそうです。
この真空妙有円坐の会場となります長善寺さんは、伊藤妙さんが橋本久仁彦さんと初めて会った場所です。
私にとって名古屋は遠く、またそのような大切なお寺で円坐守人を仕るには幾分覚束なくて揺れます。
だからこそたえさんの覚悟に応え大切な場所へ参いる所存であります。
お寺とは、芸能の民や流浪の民のような下辺の拝む人の心や魂によって、中身が具わってくる場所でもあると思っています。
仏教経典などの専門的知識はありませんが、目にはみえないこの大切なご縁を因りどころに、この身一つで参上いたします。
もう何年も円坐に身を置くようになり、わかってきた事があります。
人の心は、芝居や小説以上です。
だからこそ、人はより深い心で、舞台や文学作品を観て、涙し、心から笑うのでしょう。
理由や意味など、理解するのではなく。
それでは、今春、名古屋の長善寺さんにて、円に坐しご縁の坐舞台を精一杯つとめたいと思っております。
どうぞご縁をお待ちしています。
くぅ 松岡弘子
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
みなさま
こんにちは。
日本の里や山、川辺や海辺は今、美しい 桜 で満ち満ちています。
花びら、ひとつ、散るにしても、
左右に揺れながら、裏に表に回りつつ、
空中で落花がふと止まったり、
春の嵐に惜しげなく散る様は、
本当に美しく、光っています。
光凪ぐ海の影(かが)やきは 縁(ゆかり)色
ご縁の眼差しに照らされ 影やく光 絶えなん
もうじき、白妙の卯の花も、咲くことでしょう。
甘いおからの煮物を作ると母はいつも、
タッパーいっぱいの「卯の花」を運んで来てくれます。
「卯の花」と、
お月さんみたいなオムライスは、
おかげさまで今も元気に生きております、
懐かしい母の味です。
それでは、
卯月 相聞茶堂にて、ご縁をお待ちしております。
松岡弘子
<< 卯月 相聞茶堂 開催要項 >>
◇ 開催日時:4月15日(木) 10〜17時
◇ 茶堂場所:東大阪『石切 橋本亭』
◇ 円坐守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠
◇ 内容:未二観・影舞・円坐・円坐舞台
◇ 会費:一万円
◇ 申込:soumon.enza @ gmail.com 松岡
◇ ご挨拶:
相聞茶堂は、令和二年七月から三カ月間『浦堂 きらら』で、九月からは『高槻町 うらら』の古民家へ移り開催して参りました。令和三年一月より『石切 橋本亭』にて開催いたしております。
「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。
「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。
その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。
歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。
人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。
わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。
そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。
同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。
では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
松岡弘子
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*円坐という詩・円坐守人という生き方~守人の里、中野方にて円坐守人稲妻稽古
*暮らしの中で円坐守人の仕切りや仕事をする方々のために設けた集中クラス・道場です。
伸びゆく稲穂に見守られながらの守人稽古ですので「稲妻稽古」と名乗ります。
① 4月16~18日
② 6月25~27日
③ 8月20~22日
④ 10月22~24日
*参加費 各回 4万9千円 (研修・宿泊・食事込み)
*通年参加 (4回) 19万円
*募集人員 10名程度
【アクセス】
*電車の場合 : JR恵那駅(名古屋駅より約1時間) ⇒ バス恵那駅→中野方中切
(「中野方中切」バス停まで車でお迎えに上がります。会場まで3分)
*車の場合 : 中央道恵那インター下車 そこから会場まで約25分
<お申込み・お問合せ>
アドレス:megumi_natural @ yahoo.co.jp ( 暮らしの宿 ときのうた 長江 )
以下の内容をメールにてお送りください。
1. タイトル(円坐守人稲妻稽古) 2.参加ご希望の日程 3.お名前 4.年齢
5.住所 6.携帯電話番号 7.会場までの交通手段 7.食べられないもの・苦手な食べもの 8.その他 お一言
★「円坐守人稲妻稽古」は、私の営む“暮らしの宿ときのうた”にてはじまりました。
しかしながら、昨年は例に漏れず開催を全うすることができませんでした。
今年こそはじっくりと腰を据えて稽古に励みたいと、再び橋本久仁彦師に開催のお願いを致しました。
では、なぜ私が円坐守人の稽古をしたいのか?
そこには、「命を全うしたい=往生したい」という願いが根本にあります。
川の大きな流れというのは変えることはできません。
せいぜい石を置いて小さな渦をつくることくらい?
ダムを造ったところで、
結局のところ水は上から下へ流れ、地形を辿り、海へ流れ込む。
人の世・人生もそんなものじゃないかと私は思うのです。
どれだけあがいてみたところで、
結局のところ運ばれるべきタイミングに、運ばれるべき場所へ運ばれる。
そうしたイメージはこれまでに私の中で少しずつ発酵してきました。
諦念ともみえるその思いは、「命を全うする」という積極的な意志に馴染まないと思われるかもしれません。
しかし私にとって「命を全うする」ということは、できる限り余計な執着を手放しつつ大いなる流れに則り、
己に降りかかってくるものを受け入れていくことです。
ただ、そのことと「わたし」という主体性を発揮していくことは同居できるのだ、ということは、
私にとって昨年の稽古の中での大きな発見でもありました。
「円坐」は他者と対峙し、ひいては自身と対峙することになります。
円坐は、私にとって坐を共にする同志と、曇りなき視界を拓き、在りようを見つめる大切な場となりつつあります。
この混迷の時代に周りの環境に左右されることなく、地に足をつけて生きていこうと願いつつ、
志を共にしていただける方々のご参集を、心よりお待ちし申し上げます。
暮らしの宿ときのうた 長江賢太郎(けんけん)
岐阜県恵那、美濃の国中野方の円坐山城「暮らしの宿ときのうた」にて。
通年4回の円坐守人道場です。道場主はときのうたご主人の長江賢太郎氏。
氏はこのたびの中野方“ときのうた”円坐守人道場立ち上げの趣意書に「命のまっとう」と「往生」の言葉を掲げてくださいました。
見事な心意気であり、適切な言葉だと思います。
円坐道場「ときのうた」で坐衆の一人となってひとつの円に坐り、氏と対話することは大きな歓びです。
「・・・「円坐」は他者と対峙し、ひいては自身と対峙することになります。」
円坐の景色にふれる氏の表明を心からうれしく思います。
この文言はこの世のすべての人生の真実であり、我々人類全体に課せられたただ一つの現実です。
「円坐は、私にとって坐を共にする同志と、曇りなき視界を拓き、在りようを見つめる大切な場となりつつあります。」
「坐を共にする同志」その志は「円」です。
「志」とは「士の心」のことですね。
「曇りなき視界を拓き」
曇っているのはただ我々の「在りよう」のみ。
円坐守人が無心に言葉を辿ると「我々」という「曇り」はそのまま円坐の「円」に映ります。
「映る」のは照らされているから。
「曇る」のは青い透明な空がすでにあるからです。
よく見れば「円坐」は、坐衆の姿以外何も形はなく透明です。
「円」とはこの世に「有るのに無い」「無いのに有る」もののこと。
「円」はそれ自体で完全であり唯一です。
ゆえに「有無の一坐」とも名のります。
「在りようを見つめる大切な場となりつつあります」
既成の主語や意味を探さず無心に直接に「ことば」を辿れば、この文章の底で息づくもう一つの景色は、
「なりつつある大切な場が在りようを見つめています」
であるということが分かります。
影の主語は「なりつつある大切な場」です。
「なりつつある場」とは端的に縁起の展開である「この宇宙すべての場」であると言えます。
こうして「私」を主語としてことばを使う習慣を離れて見ると、無限大の空間が影の主語として立ち上がってきます。
この視界が「未二観」です。
「てにをは」まで言葉をあるがまま辿ると言葉に奥行きと圧力が生まれます。
そしてある深度に達すると「私」ではなく「すべて」が主語であるという背景の文脈が浮上するための水圧を備えます。
「私」という視点はこの深さと高い水圧の中で「すべて」という視点に反転する可能性をもちます。
反転と同時に我々が日常で使い慣れた「私」という「主語」が小さく断片的で無力であることが明らかになります。
そしてその小さな断片を「明らか」に照らす側、もうひとつの「主語」である「すべて」「無限大の空間」のリアリティも明らかになります。
文の主語は「主の語」すなわち広大無辺な「主のことば」を影として舞い踊っているのですね。
この断片的で無力な「私」はまるでこの世という舞台に映り込んで揺れ動く小さな影絵のようです。
我々の短い一生の営みは、姿の見えぬ太陽に照らされた月の光のような見かけの影であるということでしょうか。
いにしえの人々はこの「照らし」を知っていたので「御影(みかげ)」と呼んだのでしょうか。
偶然ですが、有無の一坐の次の出稽古は『蛍の墓』の舞台となった兵庫県の御影への影舞道中と決定しています。
中野方円坐守人稲妻稽古守人・有無の一坐坐長 橋本久仁彦
SIJ メーリングリストの案内