[SIJ: 21234] きさらぎ相聞茶堂 ご案内

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2021年 2月 9日 (火) 21:19:05 JST


皆様へ。

 

先日親戚から、一人暮らしの叔父が家で倒れて骨折し、

入院先からようやく退院したとの連絡をもらって久しぶりに訪ねました。

この機会に老人ホームに入ることになったのだが、施設はコロナ感染予防のため

面会は難しく、もう二度と会えないかもしれないからというのが連絡の理由です。

 

いつも明るくて気さくな叔父のことが、僕は小さなころから好きでした。

四年前に亡くなった母から、弟であるこの叔父と空襲で燃え上がる大阪の町を

逃げ惑ったと聞いています。

途中燃えている八百屋さんの前で小学生だったふたりは立ち止まります。

燃えているお店の中にくすぶっているトウモロコシが見えたからです。

叔父は火の粉を払って店の中に飛び込み、焦げたトウモロコシを手にして出てきました。

ふたりで食べようと口に入れたけれど、ほとんど焼け焦げていて食べられなかったそうです。

 

平和な時代に育った僕ですが、二人が食べようとしたトウモロコシの焦げたまずい味が

なぜか想像でき、この話を母から聞くたびに口がじゃりじゃりするのでした。

 

相聞茶堂では、もう会えぬ懐かしい方々とご一緒します。

そしてもうこれきり会えぬことを予感せざるを得ない方ともご一緒します。

一緒にいるというこの感覚には彼岸此岸の区別はないと思います。

相聞影舞の指先には不可視の広い空間が広がり、

彼我の別なく人々が集う相聞茶堂が立ち上がっています。

 

橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)

 

 

 

みなさま

 

こんにちは。

 

立春を越え春の彼岸頃までは、

春の陽気に羽織っていた服を脱ぐと、

また肌寒くなって衣を着ることもあり、

二月の和名きさらぎは、如月とも衣更着とも書いたりするそうです。

 

冬から春への季節、

生駒山の麓、石切橋本亭にて、

相聞茶堂を開催させていただきます。

 

 

息子が生まれて我が家は五人家族になりました。

義父母、母や、犬も乗ることもあり、いよいよ手狭になり、

赤い乗用車から白いオデッセイになって、年々走行距離も伸び、

最近では彼岸タクシーになったり、関ケ原の古戦場を駆け抜けたり、

有無の一坐の出稽古や、地方へのドサマワリの足となって、

日本各地を駆け巡っておりました。

 

おかげさまで、先月、

淡路の夕刻の海岸の縁坐舞台で、

有無の一坐に見守られて、最期を迎えることになりました。

 

我々の思い出や魂とともに、

今も白いオデッセイは大空と海の間を、

そしてこの地平線を走り続けています。

深謝申し上げます。

 

このたびご縁があって、

今度は黒のオデッセイとめぐり逢いました。

 

木更津で暮らす弟も、

年式や色が同じオデッセイに乗っています。

 

性格や外見や生き方は、似ても似つかないのですが、

でも不思議なことに、なぜかいつもどこかで通じ合っていて、

このふたりがきょうだいであることの不思議も感じています。

 

オデッセイで、千葉まで走って、会いに行く日も、すぐです。

納車の日は、山の端に大きなまあるい白い月が出ていました。

 

さて、今月の相聞茶堂は、

先月に引き続きまして石切橋本亭にて開催させていただきます。

 

如月相聞茶堂の朝は新オデッセイでご近所の川浪さんをお迎えにあがり、

安岡寺のお宅から淀川大橋を渡って南下し、中央大通りを左手にまがり、

生駒山を正面にし、石切神社のすぐそばを通って石切橋本亭へ参ります。

 

それでは、石切相聞茶堂にて、

橋本一家の皆様と共に、ご縁をお待ちしております。

 

 

松岡弘子

 

 

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◇ 開催日時:2月18日(木) 10〜17時

 

◇ 茶堂場所:東大阪市にあります『石切 橋本亭』

 

◇ 円坐守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠

 

◇ 内容:未二観・影舞・円坐・きくみるはなす縁坐舞台

 

◇ 会費:一万円

 

◇ 募集:数名

 

◇ 申込:soumon.enza @ gmail.com 松岡

◇ ご挨拶:

相聞茶堂は、令和二年七月から三カ月間『浦堂 きらら』で、九月からは『高槻町 うらら』の古民家へ移り開催して参りました。

令和三年一月より『石切 橋本亭』にて開催いたしております。

 

「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。

知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。

 

「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、

生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。

 

その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、

生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、

世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。

 

歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。

 

人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということが

ほとんど無くなりつつある現代だからこそ語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。

 

わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。

寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。

寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、

寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。

 

そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、

この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。

 

同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。

では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

松岡弘子

 



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