[SIJ: 21807] 茶月相聞茶堂 ご案内
premi
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2021年 11月 22日 (月) 20:56:42 JST
皆様へ。
昨日まで恵那・中野方第七地区の集落を見下ろす農家民宿「ときのうた」で、
円坐舞台「なき人の面影とともに生きる」に坐しておりました。
施設で生きておられる「人間の原型でしかない」ごとくになった方と、
我々の精神の根底で本当に共にあること、一緒に生きることは可能なのか。
そういう人間として生きるためには自分のこれまでの人生観、他者や世界についての思考内容を大きく変容する必要がある。
残された貴重な生の時間を生きんとする一人の人がそう語られました。
円坐舞台で明らかになってくるのは、我々が自分の思考だと思っているものが、
実は外から指示され自ら適応して習性となった判断、思考習慣にすぎなかったということです。
我々の「悩み」の内容や質感がどれも似通っているのは、そこに自分自身の思考がないことを示しています。
円坐舞台で我々の言葉を、そのまま、真剣に、妥協なく辿ると、我々が自分の思考の中に閉じ込められている様子が見えてきます。
高速で振動する思考のカプセル状態から一人で外に出ることは、現代社会の生活を生きる我々には稀なことであるように思います。
きくみるはなす縁坐舞台の三つの柱である円坐、未二観、影舞の各舞台の第一の作用は、
我々が「我々」という思考の外に存在するようになるという出来事です。
円坐という舞台に坐り、円坐舞台を生きるとは、円坐すなわち「我々の関係」が「既成の思考」であることを発見することです。
我々の関係が、すなわち「この私とあなた」が実は既製品であることを感じる刹那、我々は自由で、新鮮です。
僕にとってその自由と新鮮さは、僕に全力で向かって来てくださる「他者」を通じて明らかになりました。
そのような欠かせない、外せない、かけがえのない「他の者」との関係を生きることを「相聞」と呼んでいます。
施設の中でのみ「人間の原型」として生きる方を一筋に想うその人の言葉を、まぶしく辿らせていただいたとき
お目にかかったこともない施設のその方は、相聞の面影として、影舞の指先の先として、我らとご一緒してくださっていたのでした。
30日火曜日は縁坐影舞山月記(鬼)。
12月2日は茶月相聞茶堂を生駒石切相聞亭にて開演いたします。
有無ノ一坐 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)
みなさま
おはようございます。
冬の温かい雨の朝です。
茶月 相聞茶堂のご案内です。
昨日は秋晴れのなか、
有無一坐の橋本仁美さんと共に秋の能勢にて、
「爲樂山 天空舞 舞台」円坐舞台守人をつとめさせていただきました。
おかげさまで、
良き一日となりました。
誠にご縁をありがとうございました。
「爲樂山 天空舞 舞台」を主催してくださった方が、
先日の神楽月相聞茶堂に初めてお越しくださいました。
不思議な流れです。
石切では、
生駒山麓を一緒に歩きながら、
色づくモミジやイチョウの葉が舞うなか、
薬草を蒸す香りがあちこちから立ちこめ、
鳥の鳴き声や、
プラットホームを発着する、
近鉄電車の音が空に響き渡っていました。
時空を越えつながってているという事は、
本当に不思議です。
相聞茶堂は昨年七月から、
今回で1年半を迎えます。
国内外でコロナ感染情報が、
急速に拡大し始めたさなか、
相聞茶堂は、
高槻市浦堂で誕生しました。
石切円坐の生と死 守人稽古会に来てくださった川浪さんと、
顔あわせの打ち合わせということで我々も実際に足を運び、
その高槻裏堂で「では、やりましょう!」と約束しました。
緊急事態宣言が施行されるなか、
昨年七月から、毎月相聞茶堂が、
始動する運びとなりました。
今年の相聞茶堂は一年を通じて、
石切相聞亭にて開催させていただきました。
四季折々の景色や、
気候の変化もそのままあって、
石切は今も昔も変わらぬ懐かしい風景です。
来年は、
徳島上勝や長崎へも、
この世の名残り相聞茶堂も、
始動してまいります。
相聞茶堂は、
人と人の間にたちあははれる、
精神の茶堂です。
高槻にも、
相聞茶堂の小さな幟をあげて、
有無一坐と俱に円坐道を歩いて参ります。
松岡弘子
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◇ 開催日時:12月2日(木) 10〜17時
◇ 茶堂場所: 石切相聞亭
◇ 円坐守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠
◇ 内容:未二観・影舞・円坐・円坐舞台
◇ 会費:一万円
◇ 申込: <mailto:soumon.enza @ gmail.com> soumon.enza @ gmail.com 松岡
◇ ご挨拶:
相聞茶堂は、令和二年七月から三カ月間『浦堂 きらら』で、九月からは『高槻町 うらら』の古民家へ移り開催して参りました。令和三年一月より『石切 相聞亭』にて開催いたしております。
「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。
「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。
その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。
歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。
人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。
わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、大変苦しんでいます。寿命とは一体なんだろうかと思うのです。生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。
そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。
同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。
では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
松岡弘子
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