[SIJ: 22109] 友の訃報と相聞茶堂 

premi ptproduce @ bca.bai.ne.jp
2022年 4月 19日 (火) 17:47:46 JST


皆様へ。



4月10日、僕の人生における長年の盟友の訃報が届きました。

北海道旭川市の田渕久仁子さん。

もうこの世にはいないのだから「故」とつけるべきでしょうか。

しかし、僕にとっては「故」ではありません。



僕がまだ二十代の頃に、パーソン・センタード・アプローチと呼ばれたカール・ロ
ジャーズのカウンセリングの道を究めんとして

ワークショップに参加し続けていた頃、鳩ノ巣でのエンカウンターグループで、僕と
同い年だった田渕さんに出逢いました。



会場だった国民宿舎の二階の廊下の階段の所で、手すりに手を掛けながら挨拶を交わ
したのが最初です。

名前が同じ字ですでにご縁を感じていました。



それから40年に渡る人生を通じて、田渕さんと僕は、他者とは何か、この私とは何
か、人間関係とは何かという避けられない人生の問いを、

「言葉を聞く」という一筋の道を選びとって問い続けてきたのでした。



1月に彼女が年に何回か友人たちに向けて発送しておられる「響流(こうる」という
通信が届きました。

そこには一年前に癌の診断を受けていたこと、今年になって癌の転位が見つかったこ
とが淡々と綴られていました。



僕は覚悟の日々を過ごす彼女に、現在の僕の到達点として有無ノ一坐の円坐舞台を見
ていただきたいと思い、

5月末に一坐で旭川を訪ねたいと知らせました。



彼女からは、

「大変うれしいお申し出に恐縮しつつも、これは頑張って生きねば!!と、心を新た
にしているところです。

体調は日々いろいろですが、死ぬその時まであきらめるつもりなどありませんので、
かなり頑張って暮らしています。


(中略)なので、その頃までには、もう少しマシになって、橋本さんたちをお迎え出
来たら・・・という思いが湧いています。

5月31日から6月2日という日程OKです。

詳細についてのいろいろな詰めはこれからになりますね。

では、よろしくお願いいたします。」



と喜びの返信が来て、僕は飛行機のチケットを取って5月の再会を楽しみにしていた
ところでした。



電話を切った後、半ば茫然としたままで僕は自分の書斎に行きました。

その日の未明の急逝とのことですからまだ受け入れることもできません。

最期に会えなかったのが悔やまれるが、田渕さんに顔向けできるような仕事をするし
かない、勉強しようという気持ちでした。



机に坐ろうとしてふと右手を見ると、もう長い間本や書類や紙切れなどが乱雑に積み
重なったままになっている小さなテーブルの上に、

コピー用紙をホッチキスで止めた紙が無造作に置かれていました。

僕は胸がドキンとしてその紙を手に取りました。



『響流 第371号 2021.4.14』

「体験を選びとることはできない  田渕久仁子」



という文字が目に飛び込んできました。

もう会えないと思った彼女のまなざしをありありと感じ、肉声が聞こえてきます。

僕は立ったまま彼女の文章に目を走らせました。



「ここまで人生の旅路を重ねて来て、ふと思うことがあります。

私は自分の力で歩いて来たのだろうか?ということです。


それぞれ、自分の生き様をどのようにでも名付けることは自由です。

私はこんな風に人生設計をして、こんなに努力をして、これだけのことを成しとげた
のだ・・・

などと表現する人もいるでしょう。



私も含めて、自分の人生は自分で作るのだ、とか、それはごく当たり前の生き方、在
り方であるかのように見えます。

しかし、もの思う60代(?)に突入して、エネルギーに満ちていた年代には見えな
かった風景が

すこーし目の前に啓(ひら)けてきているように思えているのです。



日々出会うことは、望むと望まないとに関わらず、間違いなく私の前にやってきて、
いろいろな展開をしてゆきます。

波瀾万丈の人も、何ということのない日常を生きることに飽きている人も、

この日々の体験というものを、私たちはどれほど自覚的に生きているでしょうか。



以下に引用する文章は、4年と少し前に、大阪の橋本久仁彦さんから、届けられた文
章です。

それを読んだ時点で、何かとても刺激を受けたので、コピーしてとってあったのでし
た。



彼と出合ったのはもう、38年位も前、鳩ノ巣で行われたエンカウンターグループでし
た。

お互いカウンセリングのエンカウンターグループでの学びに興味を持って参加してい
た頃でした。



その後、彼はミニカウンセリングやプレイバックシアターでの経験を経て、彼独自の
世界観から、

円坐あるいは円坐影舞といった空間、場を参加者と構築して、他に類を見ない独自の
一回きりの場を作り出しているようです。



ここ数年、彼の一坐が構築する場に出ていないので、文章で届けられる案内を通して
しかその消息を知らないのですが、

時々届けられる活動の一端はとても魅力があるのです。



私も一時、プレイバックシアターを面白いと思い、スクールにも行き、グループも作
りましたが今はそこからも離れました。

橋本さんとも、プレイバックや彼の試みの空間を通しての付き合いが数年続き、その
年月はとても濃密に関わり合ったご縁であったと思います。



おそらく彼とは前世のどこかで付き合いがあり、今世で、またひとときご一緒する縁
があり、

そしてまた、それぞれの持ち場で生きている・・というそんな関わりであるように思
います。



「体験を選びとることはできない」というのが、彼の文章から私が受け取っている肝
(きも)の部分です。

このことが、日々我々が生きることの実相であるとするなら、

常識として知っていること、今見えている世界は反転してしまうほどのことであると
思います。



(以下引用文)

皆様へ。 先日の影舞円坐にて、坐衆の方々と分かち合った景色です。

「・・・円坐の<始まりの時>に、その円坐で起こるべきことはすでに起こってい
る。

今、目に見える我々の動きは、すでに物事が起こってしまっている「不可視の速い領
域」から見れば大変遅い。



我々の動きは、いわば残像のようで、我々が自信を持っている自分という意識は、

すでに十全に展開している速い意識をまったくとらえられない。

この自分ではとらえられぬ「速い意識」が、本来の我々の姿(素型)である。

我々はそれを知覚することができないゆえに、影(カゲ)という。」



以上の言葉(景色)を改めて辿り、味わってみます。



「体験」は目には見えない速い領域からやって来るので、我々に選ぶことはできな
い。

言い換えれば、すでに「速いところ」で体験を選んでしまっているので、

自分が選んで生み出したこの現実を結果として辿ってゆくのが我々の人生である。



辿ることで、我々は自分の選び取った体験に自覚的に触れ、人生に起こった事実とし
て「体験」することができる。

「選びとった自分という事実」を体験するたびに、我々は「生きた」実感や直観を得
て、人としての輪郭が増していく。



すなわち、すでに「速い領域」で選びとっていた本来の自分(という姿やはたらき)
がはっきりした輪郭として「アラワレ」て来る。



円坐で確認できるこのアラワレ(輪郭)を我々は「光度が上がる」と表現してきた
が、

この現象を「その人が光り輝く」というように個人的な色彩を加えて表現することは
できない。

別に「その人」は光らない。ただの人間のまま、ありのままのその人がいるだけであ
る。



円坐ではむしろその人の周りの空間が「晴れ上がり」、その「晴れ間」の中で「あり
のままのその人」に戻る。

この時、同時に坐衆全員が「晴れ間」に入ったのを感じることができる。



輪郭という言葉を調べると「逆光の時のシルエット」という意味があった。

いい表現であると思う。

その人の周りの空間が晴れ上がるので、その逆光で、ただの人間としてのその人の輪
郭が浮き上がる。



「輪郭のはっきりした」という表現を英語で言うと、“clear cut”。

晴れ上がったいい音の響きだ。



「輪郭を知る」は、“get a picture”。

Clear cut な晴れ間の中ではっきり見えてくるものが円坐で言う「景色」=
pictureである。



この輪郭、そして景色があらわれて初めて「本当の」という言葉を用いるのがふさわ
しい境域に入る。

日常的な意識で見て、聞くだけでは「本当のあなた」とはとても言えない。胸の奥に
実感がない。



「本当の」ところ、見たつもり、聞いたつもりの我々の日常の姿や言葉は、雨上りの
山に漂う霧のようなものだと思う。

強く日が射せば消えてしまう。



この「輪郭」「景色」が、我々が「人の存在感」として感じとることのできる微細で
本質的な「人の姿(素型)」である。

これは知的に理解して記憶することではなく、そのつど即興的に直覚(直接感じ一瞬
で了解すること)しなければならない。



この直覚へ向かう態度、姿勢のことを円坐では「仕合う」と呼んでいる。

直覚の「直」は「まっすぐ直接」ということで「速い領域」はここから始まる。



円坐守人が真摯に言葉を辿り、圧の高い、速い領域に向かって「仕合う」円坐の景色
の中で、

坐衆はありのままの自分として輪郭を増してゆく。

すなわち精神的な不可視の光に照らされていく。



「円坐は自由な場で参加者の気持ちが尊重されなければならない」

というような持ち主不在の霧のような概念は、人が本当に存在するこの高圧高速の景
色の中でただ蒸発する。



円坐守人にとって「輪郭を増す」とは、日常的で無自覚な我々の見た目の印象が色あ
せて退き、

その人の「本当」「本質」が外の空間に染みだして往くことである。



我々は、今、染んで往くということ。

人間は「成長するために生きている」のではなく、



「たった今、空間に、しんでいきつづけている」



と表現できることをうれしく思う。



2016年最期の円坐を、大阪と古都奈良の境、生駒山の麓に位置する石切と呼ばれ
る土地で行います。

石切は意志きりや遺志きり、意仕切りとも読めます。

イシキリの名のもとにこの地でお目にかかることになっている有縁の坐衆(縁坐衆)
の皆様を、

懐かしく、うれしくお待ち申し上げております。



 はしもとくにひこ」







ちょうど一年前、癌の診断を受けた頃の田渕さんがしたためた『響流』を大阪の自宅
の書斎で読みながら、

僕は田渕さんと「本当の」生きた対話をしていました。



・・・「体験を選びとることはできない」というのが、彼の文章から私が受け取って
いる肝(きも)の部分です。

このことが、日々我々が生きることの実相であるとするなら、常識として知っている
こと、

今見えている世界は反転してしまうほどのことであると思います。」



そうです。

田渕さんの言うとおり「生きることの実相」において今見えている世界は反転し、言
葉も反転します。



・・・人間は「成長するために生きている」のではなく、

「たった今、空間に、しんでいきつづけている」

と表現できることをうれしく思う。



この言葉に今、以下の文を添え、あらためて田渕さんに送ります。



「日々我々が生きることの実相」とは、



人間は「成長するために生きている」のではなく

「成長するためにこそ死んでいく」ということである。





訃報を聞いた直後、一年前の通信を今新しく受け取って、

思いがけず田渕さんと僕の相聞歌となりました。

今月10日に田渕さんの訃報を受け取って、今分かることは、

田渕さんが今まさに飛躍的な成長を遂げているということです。



「・・5月31日から6月2日という日程OKです。

詳細についてのいろいろな詰めはこれからになりますね。

では、よろしくお願いいたします。」



という田渕さんの言葉は、「不可視の速い領域」ですでに実現しています。



「詳細についてのいろいろな詰めをこれから」

して参りましょう。ぜひよろしくお願いいたします。



約束通り我々は旭川に参ります。

田渕さんの町で有無ノ一坐の円坐舞台、縁坐影舞の舞台を置かせていただき、

田渕さんに親しく観ていただいて、久しぶりに共に影舞を舞いましょう。



明日4月20日水曜日は生駒石切相聞茶堂の日です。

石切の舞台の上で、田渕さんと尊敬する仲間たちに見ていただきながら、

影舞をひとつ舞いたいと思います。



今、この世に生きている人々と、今は亡くなって、この世では目には見えない人々
が、

「きくみるはなす縁坐舞台」の上で指先をふれ合って、響き合い、「響流」し、影舞
います。



いきて有る世界としんで無い世界が「一つ」である舞台。

「有無ノ一坐」と名のりをあげました。





「はしもとさん。いい仕事になりましたね。」





2022年4月19日

田渕久仁子

橋本久仁彦(Sw.Deva Premi) 記述。







SIJ メーリングリストの案内