[SIJ: 20645] 「なきひとの面影とともに生きる」 ご案内

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2020年 2月 9日 (日) 22:57:55 JST


====================ご案内

 

「なきひとの面影とともに生きる」

 

【守人】橋本久仁彦さん(Sw.Deva Premi)

 

「亡き人」や「今はもう会えない人」などの面影ととともに生きる(生きている)ことを、

「聴く」ということを通して見つめる時間を持ちます。

 

ここでいう「聴く」を感じていただくために、主催の一人、長江賢太郎が、守人・橋本久仁彦さんを招いて主催した「中野方聞道」で、橋本さんが語ったことを、短く書き出しました。

 

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みなさんにとって種となった人がおられるはずです。

みなさんの中で根がはえて、出会った大事な方々が根付いて育ち始めます。

それがみなさんの人格となっていく。

 

みなさんの姿の中には、みなさんに種として根付いた方々の息遣いや息吹のようなものがあるはず。

そういうものがみなさんの中にあらわれてみえるといった面影のようなものがある。

それに耳を傾けていくというのが僕にとっての「聴く」という営みなのです。

 

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ご自身が若いときに大切な肉親を亡くされたご経験から

人生をかけて「死」を見つめてこられたという橋本さんの「聴く」という「営み」が染み渡る場においてお互いに耳を傾け合いたいと思います。

 

【主催者からのご挨拶】

 

かまどの前にすわり、薪をくべて火を点ける。

 

グツグツとお米の焚ける音と、パチパチッと薪のはぜる音が聞こえる。他には、遠くで微かにカラスの鳴き声が聞こえるのみである。

 

わたしはひとり黙って炎を見つめる。静謐のひととき。

 

そんな時には不思議と自身の内奥からの声が聴こえてきたり、亡き人の面影が脳裏をかすめてゆく。

 

それを「回想」という風にも捉えられるかもしれないが、思い出そうとして記憶からひっぱり出してくるのとは明らかに違う。

 

それは頬を通り過ぎる風や朝の眩しい光など、自然界からそっと囁いてくるあの訪れに似ている。 亡き人は心のざわめきが消えるとき、ふと姿を現すようだ。

 

わたしたちは見えないために見落としてしまいがちだけれど、きっと「死者」という見えない存在に包まれている。 いや、むしろ亡き人たちによってわたしが形作られていると言った方が近いのかもしれない。

 

この度は、ご縁をいただける皆さまと共に、「亡き人の面影とともに生きる」ことについて見つめて参ります。 ご参加を心よりお待ち申し上げます。

 

暮らしの宿 ときのうた 長江賢太郎

 

 

 

歯医者の待合室で雑誌を広げたら、何必(かひつ)館・京都現代美術館館長の

梶川芳友さんと内田也哉子さんの対談が載っていました。

 

内田さんの母、樹木希林さんと梶川さんの親交が語られていました。

樹木希林さんはよく梶川さんに問いを発したそうです。

例えば、「死ぬっていうことはどういうことなの?」と。

梶川さんの答えは「死ぬっていうことは、人の中に生きるっていうこと。

そして、自分の中に逝った人を生かし続けるということではないかなあ」。

 

この言葉はとても私を惹きつけました。

橋本さんからもこのような言葉をお聞きしていて、ずっと心に残っていました。

 

1つ目の文、死んで生きる。

2つ目の文は、文字通り読めば、死んでからも、逝った人を生かし続けるわけなので

逝った人は永遠に生き続けることになりますが

私は「生きるとは」ということへの回答だと思いました。

深読みすれば、「死ぬ」には時間の幅があって、

「生きる」が内包されているのかな。

 

亡き人とともに生きるということをテーマにした3日間。

意識するにしろ、しないにしろ、すでに亡き人とともに生きている私達、

そしてまた己も逝く私達として、

固定された概念を辿らず、なにかのスキルを得て使うのではなく、

集まった皆さん同志の人生、普段の暮らしの言葉に耳を澄まし合う時間です。

くらすば 吉橋久美子

***各回について***

 

3日間の講座を3回行います。それぞれに「あわい」という言葉を含むサブテーマをつけています。「あわい」とは、「間」に似ていますが、「合ひ合ひ」のつづまったもので、単に空間や距離ではなく、動きや状態を表すそうです。「面影」が浮かび上がってくるのは、「あわい」においてではないでしょうか。

 

第一章で「人のあわい」に耳を傾け、第二章で中野方という土地に触れながら「空と土と身(「心」と離れていない体)のあわい」を感じ、第三章で、「ときのあわい」に円くなって坐して過ごします。「人」と「空間(空と土と身)」と「とき」はそれぞれが内包し合う関係にあると思っています。

 

 

いずれも時間は

初日13時30分〜18時ごろ

2日目9時〜18時ごろ 

3日目9時〜16時ごろ

 

<第一章 人のあわい>

日時:2月22日(土)~24日(祝・月) @愛知県豊田市(通い、または宿泊)

内容:「未二観」を中心にした3日間です。

未ニ観…「任意の場所で15分間の傾聴空間を建築します。その様子を録音し、逐語記録を作ります。もし、ただありのままに話し手の言葉を聞くことができれば、その15分間は類まれな美しさを湛えた作品となります。」

 

<第二章 空と土と身のあわい>

日時:7月17日(金)~19日(日)  @岐阜県恵那市(宿泊)

内容:「きくみるはなす縁坐影舞」を中心にした3日間です。

きくみるはなす縁坐影舞…「影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。特に、詩や歌曲などと共に舞うと、詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、聞き慣れて当たり前に知っていた曲がこの曲ってこんな歌だったのか、と時には涙になるような感動をもたらすことがあります。」   

 

<第三章 ときのあわい>

日時:11月6日(金)~8日(日)    @岐阜県恵那市(宿泊)

内容:「円坐」を中心にした3日間です。

円坐…「円坐とは、円坐守人の呼び掛けの言葉に呼応して、定められた場所と刻限に寄り合った坐衆(参加者)が、ただ円に坐り、成り行き(道往き)を共にすることです。」

 

 

【会場・参加費】

 

第一章  「はなれ」

会場:愛知県豊田市 個人宅の離れをお借りします(豊田市駅から約2.5km) 

交通:最寄り駅 名鉄豊田市駅 からバス停「宮上町6丁目」より徒歩5分

会費:36,000円 ※

   (初日の夕食、二日目の朝昼夕、三日目朝昼食,おやつ、飲み物、保険料込。宿泊のご希望があれば、家主さんのご厚意で泊まれます。)

 

第二章・第三章  

会場:暮らしの宿 ときのうた (岐阜県恵那市中野方町3235番地)

交通:最寄り駅 JR恵那駅 からバス「中野方中切」にて下車 主催者がお迎えに行きます。

会費:39,000円※

(二泊三日の宿泊費と初日の夕食、二日目の朝昼夕、三日目朝昼食,おやつ、飲み物、保険料込。) 

 

キャンセル料:7日前から参加費の30%前日50%当日100%

※第一章の通いの方・第一~第三章の布団持参の方1000円引き 

 

 

【申込・問合】 事務局の吉橋までメール下さい。  <mailto:gclasba @ gmail.com> gclasba @ gmail.com 

 

タイトル:「なきひとの面影とともに生きる」申し込み  

本文 1.ご希望の日程 2.お名前と振り仮名・性別 3.郵便番号・住所 4.連絡に用いるメールアドレス 5.携帯番号 6.交通手段 7.食べられないもの 8.第一章の方は宿泊希望の有無。また、第一章の宿泊の方と、第二章第三章に参加の方は布団持ち込み可能か 9.ご参加にあたってお一言

 

【主催】暮らしの宿 ときのうた 長江賢太郎 ・ くらすば 吉橋久美子

 

 

 



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