[SIJ: 20865] 影の遊庭〜かげのあしびな 影舞ワークショップ@仙台 ご案内
premi
ptproduce @ bca.bai.ne.jp
2020年 8月 5日 (水) 00:19:04 JST
皆様へ。
表記WSをご案内いたします。
主催のミホさんは仙台で活動するダンサーです。
以前、大阪の影舞クラスに飛行機で通ってくださっていました。
今回はご自身で初めてのWS主催となります。
僕は娘と息子を伴い「影舞家族」で参ります。
どうぞよろしくお願いいたします。
橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)
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人生に色濃く影を残す出会いというものがある、
彼女は出会ったときにはすでにがん患者で
まだ40代、パートナーと共に色々な代替医療を行っている最中だった。
それまで深く死の際にある人との関わりがなかった私は
ただ普通に自然であろうと思い、いわばそれだけの覚悟しかできなかった。
紹介された彼女は浅黒くボーイッシュで目の大きい女性だった。
彼女と話し、夕食を食べ
朋友のダンサーと共に覚えたての容赦ない全身マッサージを
毒だしじゃあ〜とばか笑いしながら彼女に施した。
結構痛かったらしく、お前らは魔女だ〜!と半泣きで叫ばれたので
そうだよあっはっはーと更にマッサージをした後に彼女は
「あーでもこんなに大声出したの久しぶり」と笑っていた。
彼女に会った回数はそう多くなく、4度目は既に搬送された大きな病院の病室の中
だった。
個室は静かに外界から切り離されており
何の音もしない中、管や機械に繋がり静かに横になっていた。
病人の姿になってしまった彼女は、かすれた声で「外に出たい」と言った。
「動いているものが見たい。ここはなにも動かないの」
風が木の葉を散らし、草がさざめく。
土の匂いと花壇の色とりどりの花のむこうに
赤白帽の子供たちのきゃっきゃとはしゃぐ声。
眩暈のように景色が一瞬で目の中に広がった。
その時、この言葉を私はずっと忘れないんだろうなと思った。
彼女が亡くなる2週間前、転院したホスピスの病室の中で私は彼女の為に踊った。
明日は友達がギターでライブしてくれるの、と言っていて
なんだよこの病室賑やかすぎサイコー!!と笑った。
それが最後の邂逅となった。
去年突然祖母が倒れ、誰も看取りに間に合わなくて
亡くなった直後駆け付けられたのがたまたま私だけだった。
離れたばかりの魂はまだ近くでここを見ているのだろうか。
そこまで深く繋がりないのに私でごめんねえ、と思いながら
どう考えてもかけたい言葉はみつからなく、
でも祖母の顔を見ながら人生を思ったとき
亡骸の横、心をこめて少しの間手だけで踊った。
しかし彼女の時も祖母の時も、
私にはそれだけしか出来なかったというのが本当の所である。
身体からはきっとぽろんぽろんと本当が滲み出す。
動く人の姿に人の心は動く。
人は動いているものを愛おしく思う。
人は、この世の動いている様に力を貰う。
さてこれから私たちは距離をとり、ひとに触れることを悪しきとして生きていくこと
になるのだろうか。
人は人に触れずに生きることはできるのだろうか。
子供たちは一人でつまずいた時に、誰に支え起こしてもらうのだろう。
これからどうやって、人は人と出会うのだろう。
人は出会いによって変わる。
目の前のあなたに触れたときの体温のあたたかさに驚き、やわらかさにおののく。
触れたことによって振れ、自分では予想もつかなかった揺れを起こす。
自分自身だけでは知ることのなかったそのさざなみは実感となり、
体感はその人の人生を形作っていく。
人生は過ぎてきた時間軸の道の様に見えるけれども
もしいまわたしが死んだとして
見えるものは、
人生はいま立っている場所一点。
そしてその点の周りにある
いくつものぼうっとしたスポットライトに浮かび上がる、無数の出会った人たちの姿
だ。
つまりはいま、ここだ。
人生はいま。ここだ。
わたしはいまここでひとに触れたい。
いまだからこそ、ひとに触れたい。
*************
私の一点であたたかに光る、くにさんを仙台にお呼びします。
橋本久仁彦さんに出会ったのは10年以上前。
そのWSで私はただただ人の動く様に揺さぶられ、
どんな素晴らしいとされるダンス作品よりも「人の動く姿は美しい」と思い涙しまし
た。
今回は『影舞』という
ふたり指先をあわせることによって自然と生まれる「舞い」のワークショップを実施
致します。
「舞い」といっても踊りではありません。
ダンスは自発的に身体を動かし制御し表現するものですが
それとは真逆で、自我や意志、意図をすべて削ぎ落とし
ただまるのままのひとりとして目の前の相手と真摯に向き合い
ふと指先で出会ったときに、からだが自然と動き流れ出すのです。
いつの間にかそれは一連の舞となっており
観ている側は、ふたりの辿る指先が運んだひとつの物語、舞台を観た感覚になりま
す。
ふたりの影が『影舞』として、それを観た眼差しが舞台空間を決定させるのです。
ひとりひとりの生き様が動きのもとにふと見える瞬間。
影舞は人生を辿る短い旅。
人に触れて振れる己に気付く。思いどおりに運ばない人生を見る。
敬意をもち真剣に向き合い、そのひと時を無心に生ききる。
ともに。
時が満ち、くにさんを仙台の方々に紹介できることをとても嬉しく思っています。
いまだからこそ出会ってもらいたい。
きっと皆大切なものを問い、見つめ直してこの期間を過ごしたから。
そして彼女と出会った大切な場所である杜ノ遊庭にて開催する運びとなりました。
木に土に風を近くに、日の光に憩い辿る影に触れる。
時間と空間、感覚を共有できることを心から楽しみにしております。
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【 影の遊庭〜かげのあしびな 影舞ワークショップ@仙台 】
日時:2020年9月2日(水)13〜18時
場所:農風cafe杜ノ遊庭(もりのあしびな)裏山の庭にて
仙台市泉区実沢字桐ケ崎屋敷1
*雨天時は窓開放の上室内で実施
*現在カフェは休業中です
料金:6000円
定員:12名
申込・問合せ:クマガイミホ 080−6007−9024
<mailto:musicasdancemail @ gmail.com>
musicasdancemail @ gmail.com
(facebookメッセンジャー可)
*手指の接触が伴うワークショップとなります。
新型コロナウイルス感染防止対策として手指用の消毒アルコールはこちらで用意致
しますが
マスクは各自持参のうえ参加をお願いいたします。
実施は基本屋外となりますが適切な距離を保つため定員を設けさせていただきま
す。
講師:橋本久仁彦
1958年大阪市生まれ。
大学卒業後は高校教師となり、
アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した
パーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を10年間実践する。
その後アメリカやインドを遊学し、
人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、
エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けてい
る。
1990年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。
様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。
2001年12月に龍谷大学を退職、
プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、
プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、
ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリーダンスなど、
フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ね
るも、
10年間の活動を終え、その看板を下ろす。
現在は、日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台「きくみるはなす縁坐舞台」の一
座
「影舞山月記(鬼)」の座長。
生涯を通じて手掛けてきたミニカウンセリングは位相を進めて「未二観」となり、
円坐は同じく「円空坐」となり、縁坐舞台も「縁起の坐舞台」と成って様式が整い、
生死・顕幽の境を超えて不生不滅の景色を展望する三つの終の仕事となった。
仲間も変遷し、この頃は生死を共にする有縁の仲間(一味)と連れ立って、
毎日がこの世の名残りの道行である。
高野山大学スピリチュアルケアコース講師。
円坐守人。影舞人。
《影舞とは》
影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。
特に、詩や歌曲などと共に舞うと、
詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、
聞き慣れて当たり前に知っていた曲が
この曲ってこんな歌だったのか、と時には
涙になるような感動をもたらすことがあります。
影舞では、舞い手は楽曲をほとんど聞いて
いませんので、歌の心を表現する意図を持つことが
できません。
にもかかわらず、影舞を見る人は、詩歌そのものの
心を普段より深く感じ取ることになります。
影舞とは影間居(影の間に居ること)。
「自分を表現する」から退きあげていく稽古。
静まる(鎮まる)稽古。
「自分」という熱が冷めていく稽古。
舞い手が無垢な在り方で、自分を踊らず、
ただそこにいる(間居)と元々の詩歌の言葉や
ニュアンスが自由になって向こうから
立ち上がってきます。
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