[SIJ: 20871] 影の遊庭〜かげのあしびな 影舞ワークショップ@仙台 ご案内
premi
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2020年 8月 8日 (土) 17:04:01 JST
皆様へ。
今週の8月5日、橋本一家総員4名は、宿世の盟友とともに広島の江田島へ出稽古に
参りました。
江田島湾の海岸に面して広がる明るい風光の墓地を訪ね、友のご両親とその御兄弟の
墓前で影舞を納めました。
この墓地ではどの墓石にも「南無阿弥陀仏」ではなく、「倶会一処」の言葉が刻まれ
ていて珍しく思いました。
江田島には海上自衛隊の第一術科学校があります。
かつて、士官候補生の学校として山本五十六など多くの軍人を送り出した、築100
年の旧海軍兵学校の校舎が無傷のままで今も使われています。
アメリカ軍は、日本占領後この島を自分の基地に使うつもりだったので、爆撃をしな
かったのです。
友の生誕地は江田島湾を見下ろす斜面地の小さな集落にあり、少し登るだけで息が切
れるような急な坂道を辿って行きます。
300年の歴史を数える御本家一族の古い墓石に線香を供え、影舞を行いました。
「今までこのお墓にはちゃんとお参りしてないので曽祖父がびっくりして、喜んでる
と思います」 と友が語ります。
この集落の名前は津久茂と言い、坂を上がり切った山腹には浄土真宗の品覚寺があり
ます。
ご住職と奥様は、「暑い中をようこそここまで登って来られました」と、見晴らしの
良い縁側のある奥座敷まで導いてくださり、冷菓やお茶をもてなしてくださいまし
た。
ご住職が、旧海軍兵学校の卒業生達が直筆で書き残した『津久茂帳』という半紙を綴
じた10冊ほどの分厚い冊子を見せてくださいました。
当時学生たちは訓練の合間に品覚寺の境内で精神修養をしていたそうで、兵学校から
品覚寺への感謝状が床の間に置かれていました。、
『津久茂帳』には、彼らが卒業し、いよいよ出征するときの覚悟の言葉が書き残され
ていました。
開戦当初の昭和16年、17年頃は、力強い達筆の墨書が多く、「闘魂」や「敵 撃
滅」 「決断」 「一撃入魂」 「報恩孝行」といった言葉と、
家族への思いやりなどが綴られ、第何期生誰某と記名があります。
昭和20年頃は、「忍ぶ」や「無念」 「散る桜」 「万死」などの言葉が増え、字
体や勢いも、どこか寂しく揺れているような感じを受けました。
しかしどのページにも若く真面目な、まっすぐな気概があふれており、まるで書いた
人がそこにいるかのような臨場感がありました。
海軍兵学校の厳しい課程を終え、晴れて卒業した若き士官候補生たちは皆、眼下の江
田島湾を出港する船上から品覚寺を見上げ、敬礼して往ったそうです。
品覚寺の奥の間の縁側から、美しい江田島湾を下に見晴らしますと、今拝読した『津
久茂帳』の墨書の言葉や字体が面影としてよみがえり、江田島の海と山の風景に重な
ります。
我々は、江田島湾に向かってお辞儀をし、ただ粛々と影舞を舞わせていただきまし
た。
我々も現在の『津久茂帳』に記帳させていただきましたが、先輩方の直筆にふれた後
なので、まなざしを感じてみな背筋が伸び、それぞれの思いを込めた記帳となりまし
た。
自分の一言をこんなに一生懸命に書き遺そうとすることは、我々の日常生活ではまっ
たくないことでした。
長居をお詫びし、ご挨拶して寺の山門を出る我々の姿が見えなくなるまで、ご住職と
奥様は本堂の日差しの強い縁側に並んで正座し、深々とお辞儀をして見送ってくださ
いました。
僕は、このような正座のお辞儀によって見送っていただいたのは生まれて初めてでし
た。
ああ、このようにして学生たちは見送られ、出征していったのだな、お互いにこのお
辞儀と敬礼を交わして永訣したのだと思いました。
無数の墓石群に一様に刻まれた「倶会一処」の文字は、やがてまた良きところでとも
に再会しようという、
日本という国に生まれ、死んでいった人々と、今生きている我々の積年の願いがこ
もっているのだと腑に落ちました。
山門を背にし、海へ向かって急坂を下りながら我々は、江田島とこの津久茂の集落
に、登る時には感じなかった強い親しみと既視感を覚えていました。
またひとつ、再びおとづれることになる懐かしい土地と、その風景から永遠に切り離
すことのできない人々に出遇ったのでした。
フェリーで広島に戻り、草津という町の古民家に宿泊して翌8月6日は原爆ドームに
向かいました。
平和公園の、昨年と同じ場所、同じ角度からドームに対してお辞儀をし、影舞を納め
ました。
ドーム脇の相生橋を渡って対岸の水辺に下り、これも昨年と同じ位置で川越しに、原
爆ドームに見守られながら川にお辞儀し、足元を水に浸して影舞を納め、
そのまま近くの桟橋から出る高速艇に乗って宮島に向かいます。
宮島では、厳島神社に参り、秀吉建立の千畳閣という巨大な木造建築の広い床の上、
厳島神社を見下ろす位置にて影舞を舞いました。
例年百人以上の観光客でにぎわう千畳閣の、黒光りのする板張りの広間には人がおら
ず、お陰様で、静けさと蝉の声と吹き抜ける強い風の中、
千畳閣そのものと対峙して影舞を舞うことができました。
これも初めての経験でした。
本土へ戻り、宮島口の駅から電車に乗った時、家内が、
「来てよかった。今までは広島といえば原爆のことでしか来たことなかったけど、今
回は違う広島だった」。
と申しました。
我々にとっての広島が、今ようやく始まったのだと思います。
口承即興〜円坐影舞 有無の一坐 坐長
橋本久仁彦(Sw、Deva Premi)
橋本一家は11日には山月記、13日には高槻浦堂相聞茶堂、岐阜中野方稲妻稽古を
経て30日には福島県須賀川、天栄村を訪ね、
31日は宮城県丸森町での「まるもり円坐」、9月1日は同じく丸森での「守人の学
び舎」、
そのまま仙台へ移動し9月2日は「影舞ワークショップ@仙台」と、円坐家族影舞旅
の道中を参ります。
以下は「影の遊庭〜かげのあしびな 影舞ワークショップ@仙台」を立ち上げてくだ
さったクマガイミホさんのご案内の言葉です。
彼女は仙台で活動するダンサーで、以前大阪の影舞クラスに飛行機で通ってくださっ
ていました。
今回はご自身初めての影舞ワークショップの主催となります。
丁寧に言葉を紡いでくださいました。ありがとうございます。
*******************
人生に色濃く影を残す出会いというものがある、
彼女は出会ったときにはすでにがん患者で
まだ40代、パートナーと共に色々な代替医療を行っている最中だった。
それまで深く死の際にある人との関わりがなかった私は
ただ普通に自然であろうと思い、いわばそれだけの覚悟しかできなかった。
紹介された彼女は浅黒くボーイッシュで目の大きい女性だった。
彼女と話し、夕食を食べ
朋友のダンサーと共に覚えたての容赦ない全身マッサージを
毒だしじゃあ〜とばか笑いしながら彼女に施した。
結構痛かったらしく、お前らは魔女だ〜!と半泣きで叫ばれたので
そうだよあっはっはーと更にマッサージをした後に彼女は
「あーでもこんなに大声出したの久しぶり」と笑っていた。
彼女に会った回数はそう多くなく、4度目は既に搬送された大きな病院の病室の中
だった。
個室は静かに外界から切り離されており
何の音もしない中、管や機械に繋がり静かに横になっていた。
病人の姿になってしまった彼女は、かすれた声で「外に出たい」と言った。
「動いているものが見たい。ここはなにも動かないの」
風が木の葉を散らし、草がさざめく。
土の匂いと花壇の色とりどりの花のむこうに
赤白帽の子供たちのきゃっきゃとはしゃぐ声。
眩暈のように景色が一瞬で目の中に広がった。
その時、この言葉を私はずっと忘れないんだろうなと思った。
彼女が亡くなる2週間前、転院したホスピスの病室の中で私は彼女の為に踊った。
明日は友達がギターでライブしてくれるの、と言っていて
なんだよこの病室賑やかすぎサイコー!!と笑った。
それが最後の邂逅となった。
去年突然祖母が倒れ、誰も看取りに間に合わなくて
亡くなった直後駆け付けられたのがたまたま私だけだった。
離れたばかりの魂はまだ近くでここを見ているのだろうか。
そこまで深く繋がりないのに私でごめんねえ、と思いながら
どう考えてもかけたい言葉はみつからなく、
でも祖母の顔を見ながら人生を思ったとき
亡骸の横、心をこめて少しの間手だけで踊った。
しかし彼女の時も祖母の時も、
私にはそれだけしか出来なかったというのが本当の所である。
身体からはきっとぽろんぽろんと本当が滲み出す。
動く人の姿に人の心は動く。
人は動いているものを愛おしく思う。
人は、この世の動いている様に力を貰う。
さてこれから私たちは距離をとり、ひとに触れることを悪しきとして生きていくこと
になるのだろうか。
人は人に触れずに生きることはできるのだろうか。
子供たちは一人でつまずいた時に、誰に支え起こしてもらうのだろう。
これからどうやって、人は人と出会うのだろう。
人は出会いによって変わる。
目の前のあなたに触れたときの体温のあたたかさに驚き、やわらかさにおののく。
触れたことによって振れ、自分では予想もつかなかった揺れを起こす。
自分自身だけでは知ることのなかったそのさざなみは実感となり、
体感はその人の人生を形作っていく。
人生は過ぎてきた時間軸の道の様に見えるけれども
もしいまわたしが死んだとして
見えるものは、
人生はいま立っている場所一点。
そしてその点の周りにある
いくつものぼうっとしたスポットライトに浮かび上がる、無数の出会った人たちの姿
だ。
つまりはいま、ここだ。
人生はいま。ここだ。
わたしはいまここでひとに触れたい。
いまだからこそ、ひとに触れたい。
*************
私の一点であたたかに光る、くにさんを仙台にお呼びします。
橋本久仁彦さんに出会ったのは10年以上前。
そのWSで私はただただ人の動く様に揺さぶられ、
どんな素晴らしいとされるダンス作品よりも「人の動く姿は美しい」と思い涙しまし
た。
今回は『影舞』という
ふたり指先をあわせることによって自然と生まれる「舞い」のワークショップを実施
致します。
「舞い」といっても踊りではありません。
ダンスは自発的に身体を動かし制御し表現するものですが
それとは真逆で、自我や意志、意図をすべて削ぎ落とし
ただまるのままのひとりとして目の前の相手と真摯に向き合い
ふと指先で出会ったときに、からだが自然と動き流れ出すのです。
いつの間にかそれは一連の舞となっており
観ている側は、ふたりの辿る指先が運んだひとつの物語、舞台を観た感覚になりま
す。
ふたりの影が『影舞』として、それを観た眼差しが舞台空間を決定させるのです。
ひとりひとりの生き様が動きのもとにふと見える瞬間。
影舞は人生を辿る短い旅。
人に触れて振れる己に気付く。思いどおりに運ばない人生を見る。
敬意をもち真剣に向き合い、そのひと時を無心に生ききる。
ともに。
時が満ち、くにさんを仙台の方々に紹介できることをとても嬉しく思っています。
いまだからこそ出会ってもらいたい。
きっと皆大切なものを問い、見つめ直してこの期間を過ごしたから。
そして彼女と出会った大切な場所である杜ノ遊庭にて開催する運びとなりました。
木に土に風を近くに、日の光に憩い辿る影に触れる。
時間と空間、感覚を共有できることを心から楽しみにしております。
*************
【 影の遊庭〜かげのあしびな 影舞ワークショップ@仙台 】
日時:2020年9月2日(水)13〜18時
場所:農風cafe杜ノ遊庭(もりのあしびな)裏山の庭にて
仙台市泉区実沢字桐ケ崎屋敷1
*雨天時は窓開放の上室内で実施
*現在カフェは休業中です
料金:6000円
定員:12名
申込・問合せ:クマガイミホ 080−6007−9024
<mailto:musicasdancemail @ gmail.com>
musicasdancemail @ gmail.com
(facebookメッセンジャー可)
*手指の接触が伴うワークショップとなります。
新型コロナウイルス感染防止対策として手指用の消毒アルコールはこちらで用意致
しますが
マスクは各自持参のうえ参加をお願いいたします。
実施は基本屋外となりますが適切な距離を保つため定員を設けさせていただきま
す。
講師:橋本久仁彦
1958年大阪市生まれ。
大学卒業後は高校教師となり、
アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した
パーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を10年間実践する。
その後アメリカやインドを遊学し、
人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、
エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けてい
る。
1990年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。
様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。
2001年12月に龍谷大学を退職、
プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、
プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、
ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリーダンスなど、
フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ね
るも、
10年間の活動を終え、その看板を下ろす。
現在は、日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台「きくみるはなす縁坐舞台」の一
座
「影舞山月記(鬼)」の座長。
生涯を通じて手掛けてきたミニカウンセリングは位相を進めて「未二観」となり、
円坐は同じく「円空坐」となり、縁坐舞台も「縁起の坐舞台」と成って様式が整い、
生死・顕幽の境を超えて不生不滅の景色を展望する三つの終の仕事となった。
仲間も変遷し、この頃は生死を共にする有縁の仲間(一味)と連れ立って、
毎日がこの世の名残りの道行である。
高野山大学スピリチュアルケアコース講師。
円坐守人。影舞人。
《影舞とは》
影舞は、誰にでもすぐできる舞いの形です。
特に、詩や歌曲などと共に舞うと、
詩や歌詞の言葉の「形」がくっきりと際立ち、
聞き慣れて当たり前に知っていた曲が
この曲ってこんな歌だったのか、と時には
涙になるような感動をもたらすことがあります。
影舞では、舞い手は楽曲をほとんど聞いて
いませんので、歌の心を表現する意図を持つことが
できません。
にもかかわらず、影舞を見る人は、詩歌そのものの
心を普段より深く感じ取ることになります。
影舞とは影間居(影の間に居ること)。
「自分を表現する」から退きあげていく稽古。
静まる(鎮まる)稽古。
「自分」という熱が冷めていく稽古。
舞い手が無垢な在り方で、自分を踊らず、
ただそこにいる(間居)と元々の詩歌の言葉や
ニュアンスが自由になって向こうから
立ち上がってきます。
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