[SIJ: 21109] 12月相聞茶堂 ご案内
premi
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2020年 11月 27日 (金) 18:18:42 JST
皆様へ。
11月19日の相聞茶堂は、茨木市の隠れキリシタンの里へ参りました。
京都と大阪の間の山間地、千提寺の集落で、フランシスコ・ザビエルの肖像画を隠し櫃の中に納めて生涯守り抜いてきたおばあさんは、
見せてほしいという人々に必死の抵抗を示したそうです。
しかし、とうとう時代はその櫃をこじ開け、数百年の間、村人が信仰の憑代としたその肖像画は収集家の手に渡り、
その後神戸の博物館に移って一般の人々が観る対象となっています。
我々が大勢の中の個人として、自分自身の感覚を基準として生き、何でも見て知りたい、知って感動したい、成長したいという欲求と、
「他者」に見つめられ、見抜かれ、見切られ、「このただひとりの抜き身のわたくし」となって、他者という光線に貫かれて生き、死に、
そして再び本当に生きるという事実は、決して両立しないものだと思います。
前者の中には自分しかおらず、後者には他者が、あるいは「他」なるものがいます。
そしてこの両者は連続しておらず、橋渡しが不可能なのです。
僕はこの 「橋渡しが不可能」 であることこそ祝福であると思います。
それゆえ生きていることに緊張感があり、生きる甲斐があり、死ぬ甲斐があるからです。
それゆえこの私が生きているということに、どうしても一人で引き受けねばならぬ「尊厳」が生じるからです。
昨日の信州小谷村での円坐仕合でもそのことを教えて頂きました。
橋渡しが不可能であるがゆえに、人は真の仲間を求めて止まぬのだと思います。
橋渡しが不可能であるがゆえに、人は人を愛し続けることができるのだと思います。
よい円坐道行きを辿らせていただきました。
守人冥利に尽きます。
12月3日、今年最期の相聞円坐をご案内いたします。
有無の一坐、橋本一家、参上いたします。
お一人分のみ残席がありますのでご案内いたします。
相聞茶堂守人 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)
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12月の相聞茶堂@高槻町うららご案内
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◇ 開催日時:12月3日 JR高槻駅10時集合〜17時半解散
◇ 茶堂場所:高槻市高槻町の古民家うらら(15時〜17時)
◇ 守人:橋本久仁彦 松岡弘子 橋本悠
◇ 内容:未二観・影舞・円坐・きくみるはなす縁坐舞台
◇ 会費:一万円
◇ 募集:1名
◇ 申込: <mailto:soumon.enza @ gmail.com> soumon.enza @ gmail.com 松岡
◇ 15時〜茶堂のみ参加希望の方は、お問い合わせください。
◇ ご挨拶:
10月から相聞茶堂は『高槻町うらら』の古民家へ移りました。
「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。
知識による人から人への受け渡し教育でもありません。
誰もが乞い乞われる万葉の相聞歌のような、魂の呼応です。
「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。
四国の各地の村境にある小屋のことで、
生活をする中で世代を問わず語り合ったり旅人をお接待する憩いの場であったり、
四国の各所には数多く残っています。
その「茶堂」を場所としてそこから呼び覚まされる生活の言葉、
智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした、
思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて、
世界の歴史全体を包み込むような空間がこの世にひとつ、あればいいなあとおもいます。
歴史を越える心にふれるには、人に会うことでしか始まらないと思います。
人の語る言葉をそのまま聞くということが、たとえ発語がなくとも、
聞こえてくる言葉をそのまま聞くということがほとんど無くなりつつある現代だからこそ
語りの言葉には他者への敬意と土地への誇りも、同時に、不可欠だと痛感しています。
わたしたちはこれまで長い歴史の中でいのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。
寿というものをいただいて、命そのまま生きているわけですが、現代は個人の生命を私有化してしまい、
大変苦しんでいます。寿命とは一体なんだろうかと思うのです。
生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのような気がしてなりません。
そこで「相聞茶堂」という見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、
皆様と共に、この現代でいうお接待の形を試みてみたいと思います。
同時に、この願いというものは、いつの世にも願われてきた「呼び声」でもある、という気がしています。
では、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
松岡弘子
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