[SIJ: 21265] 火垂るの墓 円坐影舞「御影道中」 ご案内

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2021年 2月 26日 (金) 14:20:17 JST


皆様へ。



円坐影舞有無の一坐による御影道中のご案内です。

余生名残りの道中、お陰様で良い旅路です。ありがとうございます。







散りぬべき 時知りてこそ 世の中の



         花も花なれ 人も人なれ







    天高く  



雲湧く隙も



なかりけり





有無の一坐  はしもとくにひこ(Sw.Deva Premi)







みなさま



立春を迎え冬から春へ。

寒暖をいきつもどりつ季節は移り変わっています。



一昨日はピッコロ保育園五歳児やまぐみクラスの、

きくみるはなす縁坐舞台、今年度の最終回でした。



きくみるはなす縁坐舞台は、円坐から始まります。

阿波杉の椅子の形をした積み木『てるぺん』がまわってくると、

まずご挨拶をし、名を名乗り、今朝何を食べてきたかを言って、

宜しくお願いしますと一礼し、隣りに順にてるぺんを渡します。



最終回は、

全員そろった十数名のやまぐみさんに、

担任や加配の保育士さんや実習生さん、

そして有無の一坐の顔ぶれも坐ります。



いつもは「しずかになるまで、言わへん」と言って、

たっぷり間合いをとる子も今日はすっと出番を終え、

てるぺんは順に半時計まわりに円坐の内側をまわり、

まるで、歌舞伎の廻り舞台の奈落のように最終回は・・

予想や予定を遙かに越えたやりとりが次々彼方此方で起き、

じっと成り行きを観ていると向こうからも見られ始めます。

こうなってくると、予め考えてきた筋書きは通用しません。



全体が、ひとつの生き物のように動き始めて、

子どもも大人も輪郭がはっきりした姿を見せ始め、

見えない柔らかな大きなからだに乗って運ばれて参ります。



閉ざされた五感の捉える視界からくるりと大海原に漕ぎ出でた舟は、

行先を空と海の間のかなたへ向かって大きく旋回しながら進みます。



45分にもおよぶ円坐のあとは、

やまぐみ全体に贈る影舞舞台を、置かせていただきました。



先人たちが魂を込めて歌った珠曲を全身全霊で歌い上げた、

T字路sの讃歌「夕暮れ」と薬師丸ひろこ「仰げば尊し」の、

十分間ほどの有無の一坐のきくみるはなす縁坐舞台でした。



今度は、やまぐみさんのさいごの晴れ舞台です。



担任のみわさんに名前を呼ばれ、舞台にあがり、

恩師とお辞儀を交わします。



ここまでくるともらい泣きすら因果関係では成立しません。

言葉になってくる以前に、既に、同時に、起こっています。

不思議なことかもしれませんが、閉ざされた五感感覚では、

認知できないことのようになっているようです。



ラスト二本の有志によるやまぐみ影舞の舞台は見事でした。

最後はふたたび円坐になって名残りとともに終わりました。



新年度早々、緊急事態宣言の影響で出足しが遅れましたが、

おかげ様で今年度も千穐楽の幟を掲げることができました。

誠に深謝申し上げます。





来月の3月14日(日)

神戸の御影におきまして開催いたします、

火垂るの墓 円坐影舞「御影道中」のご案内です。





「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」





このシーンから始まる、火垂るの墓。



八月十五日になると、

テレビでは必ずと言っていいほど、

放映されていた、アニメ映画です。



14歳の清太は、

国鉄三ノ宮駅構内の行き交う群衆の中、

柱にもたれかかり、

力尽き、ひっそりと息をひきとります。



駅員は、少年の遺体を片付けるために、

少年の持ってたドロップ缶を投げ捨てると、

中から、4歳の妹節子の骨の欠片が飛び散って、

二匹の蛍となり、節子と清太の姿があらはれます。



火垂るの墓の映像やシーンは、

どうしてこんなにも心に焼き付くのでしょう。



昨秋、尼崎道中を影舞いました有無の一坐は、

今春、さらに西へ、神戸は御影へと参ります。



このたびのご縁、

心よりお待ちしております。



松岡弘子





< 火垂るの墓 円坐影舞「御影道中」開催要項 >



◆◇ 日時 令和3年3月14日 (日) 10~19時

◆◇ 場所 兵庫県 御影公会堂とその界隈

◆◇ 内容 円坐 影舞 未二観 縁坐舞台

◆◇ 会費 一万円   ◆◇ 募集 数名

◆◇ 申込  <mailto:soumon.enza @ gmail.com> soumon.enza @ gmail.com  松岡











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