[SIJ: 22285] ①影舞山月記(鬼)②はら円坐 ③裏日光円坐道場 円坐・未二カウンセリング(未二観)ご案内
premi
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2022年 7月 11日 (月) 17:24:55 JST
皆様へ。
僕がこの人生で辿り着いたのは「きくみるはなす円(縁)坐舞台」という仕事と、
家族血縁を超えた仲間としての有無ノ一坐でした。
両方とも僕にとっては「この世」に存在していなかった新しい関係性の形です。
日本一のお米やおいしい野菜を作っている福島県須賀川市の畏友、吉成邦市さん。
「この田んぼや畑は自分のものではない。
先祖や親から預かって、やがて返すものだ」
「限界集落と言うが、それは都会の人たちが都会の目線で言っていること。
俺たちは親や先祖から預かったこの土地で生きて、死んでいくだけだ」
彼から聞いた言葉を折に触れて思い出しています。
福島原発事故の後、町役場に勤務していた吉成さんは独自の方法を研究して、
全国に有名な米どころ天栄村の田んぼの放射能を除去することに成功し、おいしい日本一の天栄米を復活させました。
しかし、彼を待っていたのは事実より「風評」を信じる世間との厳しい戦いでした。
吉成さんは「売るのは米ではなく信頼そのものだ」と考え、
全国を回り直接人々と会って「人の絆」を結び続けました。
僕とは年齢も同じである吉成さんの生き様と、僕の生き様である縁坐舞台には響き合うものがあり、
現在は須賀川のふるさとで農業に専念している吉成さんの面影は、常に僕の胸に宿って生き生きと語りかけてきます。
僕の仕事は彼のような土着の、生々しい現場で戦う日本人たちの姿勢から大きな影響を受けています。
「この土地で生きて、死んでいくだけだ」という思いを、僕も
自分の仕事である「きくみるはなす円(縁)坐舞台」に対して持っているような気がします。
「きくみるはなす円(縁)坐舞台」は、目には見えない精神的な世界から「預かっている」豊かな「土地」で、
「人に会い、人の絆に結ばれる」旅に出る人はどなたでも歩み入ることができます。
「歩み入る」と表現するのは、僕にとっては円(縁)坐舞台の時空間が、
あの美しい天栄村と同じように一つの実在する「土地」であるからです。
実在するわけですから「やり方」や「メソッド」や「理論」をはさまなくても、それはすでにそこにあります。
必要なのは「直接会うこと」「直接見ること」だけで
「どのようにすれば会えるのか、どうしたら見えるようになるのか」と考えるのは、
一歩も動かない夢の中でのストーリーだと思います。
本当に愛しているなら遠方にいても今ただちにその人に「ふれて」「会って」いますが、
どうすれば愛せるかと考えているならそこにいるのは自分だけです。
有無ノ一坐の仕事の形である「名残りの出稽古ドサ廻り」とは、
こちらから会いに行って目の前の境界線をまたいでその土地に「歩み入る」ということ。
あるいは招いて頂いた民家の小さな部屋で、目の前に結んだ円坐舞台の「何も無い空間」に「歩み入る」こと。
“the way to do is to be.”(その方法とは「ただあること」である)
という、僕がその道を志した「人間中心のカウンセリング」の提唱者であったカール・ロジャーズの言葉を、
日本の田舎のおじいさんやおばあさんにも伝わる日本語で表現しようとするとき、
三重県津市に住む友が知らせて下った「認知症」のお父様が発せられたお言葉、
「私の仕事はふるさとに帰ることです」
を思います。
きくみるはなす円(縁)坐舞台とは、未来に待つふるさとに帰る道筋であり、
田舎で出逢うじいちゃん、ばあちゃんと手に手を取って、
とても懐かしいのにまったく新しい不思議な風景に胸ときめかせながら歩く道です。
あるいは保育園で、きくみるはなす円(縁)坐舞台のクラスを
楽しみに待ってくれる五歳児たちの笑顔に包まれて逝く明るい道です。
そして彼らの輝く笑顔がこの世に生まれて「有る」ことになる前と、
我々の年老いた身体がこの世から「無く」なった後の、
前後ひとつに結ばれる目に見えない謎の「土地」を巡業する
「有無ノ一坐」のわくわくする冒険を語り遺す道です。
きくみるはなす円(縁)坐舞台にその影が映る「謎の土地」。
僕のような老年にさしかかった者にとっては「懐かしいふるさと」。
このふるさとには「見どころ八景」があります。
八景のひとつ「影舞」の舞台空間は、
五歳児にとっては聞こえてくる歌が見えない身体をもって立ち上がる「謎の八景」。
村のじいちゃんばあちゃんにとっては今はなき懐かしい人々がよみがえる「魂のふるさと八景」です。
「未二カウンセリング(未二観)」の「八分間」と「十五分間」は、
どなたにも一見をお勧めしたい見晴らし満点の「有無を超えたふるさと八景」です。
「円坐」という「円坐守人」に結界された舞台には、我々の精神世界が思いがけない形であらわれます。
見えていたつもりの他者や自分の姿が霧のようにおぼろげになって、やがて輪郭のよりはっきりした「ふるさと」で再会します。
5月に訪ねた日本のふるさと四万十川のほとりに『再会』という鄙びたスナックがありました。
円坐舞台はこの世で一番大切な「誰か」との「再会の八景」です。
そして大阪中之島で30回の公演を重ねた「きくみるはなす円(縁)坐舞台」の遥かな景色。
観客の皆様から、
「舞台に惹きつけられる」「能のようだ」「古代の祭儀」「神子舞」「亡くなって久しい曽祖父が喜ぶ」
「意味がわからない」「どう見たらいいのか分からない」「居心地が悪い」「見てはいけないものを見てしまった」
などのご感想を頂いた口承即興縁坐舞台で、影舞はこの舞台の一部から独立して生まれ落ちました。
これでふるさとの景色「四景」ですね。
あとの四つの景色は、きくみるはなす円(縁)坐舞台の奥の細道を少し歩いたところにあります。
それは我々がこの世に生まれて来て、初めて「他者」と本当に出逢ったときの景色。
向こう側からはっきりと見つめてくる「他者のまなざし」に照らされた四つの景色です。
この景色をお見せしたい。
この風景の中でお目にかかりたいというのが有無ノ一坐の「仕事」であり「色と欲」です。
その景色は「わたし」にとって本当に色っぽくて魅力的です。
その風景こそ「わたし」が本当に欲しかった「あなた」です。
わたしはこの人生で本当の「自分自身」が欲しかったのではなく、
本当の「あなた自身」に会いたかったのでした。
“the way to do is to be.”
という僕の人生を照らしてくれたロジャーズの言葉 “to be”「在ること」とは、
わたしではなく先に「あなた」がいたということ。
あなたがそこにいたから「わたし」がここにいるということ。
“the way to do is to be with you.”
唯一の「やり方」とは、ただあなたがそこにいるということ。
そして、そのお陰であなたと一緒にいられるということ。
この世界の一つひとつは「あなた」で出来ています。
これが有無ノ一坐の「有無を言わさぬ」不変の視界です。
有無ノ一坐 橋本久仁彦(Sw.Deva Premi)
・・・
今回は各地でのきくみるはなす円(縁)坐舞台を三つご案内いたします。
①第13期影舞山月記(鬼)は明日7月12日火曜日から始まります。
全8回の「きくみるはなす縁坐影舞道中景色」初心の方歓迎いたします。
<日程>
①7月12日
②7月26日
③8月9日
④8月23日
⑤9月6日
⑥9月27日
⑦10月11日
⑧10月25日
*いずれも火曜日18時30分~22時15分
(*お仕事のご都合などで毎回遅れてのご参加や途中退出もOKです。)
【受講料】 全8回 3万円 単発参加一稽古4千円
【会場】 影舞山月記(鬼)稽古場(大阪市西区千代崎2-20-8)
地下鉄鶴見緑地線「ドーム前千代崎」駅②番出口徒歩2分
阪神ドーム前駅徒歩3分・JR環状線大正駅より10分)
【申し込み】 メールにて、enzabutai @ bca.bai.ne.jp はしもとくにひこまで。
よろしければ受講の動機を簡単にお伝えくださいませ。
②「はら円坐」
円坐とは、輪になって座り、場を生きる、というものです。
そこには「守り人」と呼ばれる、場に現れた言葉を聴ききる人がいます。
大阪から守り人橋本久仁彦さんをお招きして、真夏の昼下がり、円坐をひらきます。
日時:2022年8月5日(金)12時半~18時
場所:新豊田駅から約2.5キロの個人宅のはなれをお借りします。お申し込みの方にお知らせいたします。
会費:13,000円 当日橋本さんにお納めください。
会場費:500円 吉橋へ
お申し込み:gclasba @ gmail.com
タイトル:「はら円坐 申し込み」
本文:お名前、お電話番号(急ぎの用事の時のみご連絡します。)
※連絡は基本的にいただいたメールにいたします
「人生に肚落ちしているか」
そんなテーマを掲げた場があれば行きたいな、と、長くつきあってくれている友人が言いました。
うん、そうだな…。私も思いました。
何をしている人であろうと、どんな人であろうと
それは根っこのところにある問いではないでしょうか。
考えても考えなくても日々は過ぎていき、そして命は尽きるものだけれども、何かの折にふとその存在に思い至るような。
この夏にそのような場を開かせていただくことになりました。
この場には「人生に肚落ちするためのノウハウ」が準備されているわけではありません。
「会う、というその一点が決まっているだけ」と打ち合わせで橋本さんはおっしゃいました。
これまで円坐に関わらせていただいて、それが一番本質的なことだという感触を持っています。
人生にまつわる問いへの答えは、類型化・一般化できるような質のものではないのだから。
その答えに向かう過程は、人々の環の中で、きっと語るそばから、聴くそばから、刻々と変化し、揺れるものであると思います。
まず、共に居ること。
そして、どれだけ語っても心のなかを表しきれない「言葉」や
言葉以外のなにものかが生まれるのを真剣に見つめること。
真剣に見つめられたものは、きっと、生き生きと、また、辛いものは辛いなりに、動き出すと思います。
こうやって書きながら、なんとも、表現が難しいなあ…って手が止まります。上滑りになってしまうような…。
やっぱり、その場になってみないとわからないです。
***
自分の身には起こらないであろう、過去のものと思ってしまっていた、
実はひとときも絶えてなどいなかった疫病や戦争というものが自分の身に迫るものとして顕在化し、息が詰まる思いをすることが多くなりました。
おじいちゃん・おばあちゃん世代のセピア色だった戦時中の話がにわかに鮮明になり。
戦闘機や輸送機に乗っていた父の、当時の「日常」のことを思い。そこに私はいたわけで。
「過去に起こったことが未来に自分の身に起きるとして、そのような極限の状況において、
自分がどのように振舞えるかを考えると怖い」と橋本さんにお話しすると、
「それは今、起きています」とおっしゃって、意味が分からず、聴きなおしました。
打ち合わせの後、「ソウイウイノチノセトギワニ…」高村光太郎の「レモン哀歌」のフレーズが何度も頭に浮かびました。
調べてみると勘違いしていました。
「あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた」
ああ、「こういう命の瀬戸際に」だったんだな…
「今、起きている。」
日常の振る舞いの意味が変わるこの言葉を繰り返し考えています。
(吉橋)
…………………………………………
③裏日光円坐道場 円坐・未二カウンセリング(未二観)縁坐舞台
8月26日〜28日の3日間
橋本久仁彦さんが、日光へお越しくださいます。
この度、集まった方々で,円坐、未二カウンセリング(未二観)をしたいと思います.
……
2人のひとが時間を決めて,それぞれの言葉を一字一句、「てにをは」まで聴き辿る未二カウンセリング(未二観)は、
ひとの話を聴く稽古としての形ではありますが、
私の体験では、ひとの言葉が聞けるようになるために習う種類のものではなく、
他の人の言葉を辿るという業のあらわれを
厳然とした事実として目撃する、といった様相があります。
そして、その事実を確認する時,
そこにあるのがどんな言葉であっても、
圧倒されるような時空間が広がり、飽くことがありません。
私たちは、ただこの人を知りたい、と思ったとき、
言葉を聴ける能力や技術があるなしに関係なく、
「あなたの言葉を聴いてしまった…」
というような瞬間に出会うことがありますが、
その衝撃の実感に、近いところもあります。
…
ひとは死後、自分の人生の全てを、今度は他の人の目で振り返るという、49日間を経験するそうです.
チベット密教では、それをバルドゥ期間というらしいですが、
そこで、自ら天国に行くのか地獄に行くのか決めるというのだから、
自分の姿のある真実を見せられるのは、なかなかハードな経験なのだと思います。
生きていれば,言い訳や弁解もできると思うけれど、
そうではなく、ただほんとうに辿られた他者の眼差しの中での自分の姿というのは、
ある意味において,一度死なせなくてはならないのではないか
他者の間で自分の姿があらわになる円坐や未二観の限りある時間というのは、
生きながらのバルドゥのような側面があるかもしれない、と感じることがあります。
バルドゥなど実際には体験したことはないので適切ではないかもしれないけれど、
生きているあいだに、これほど他者の中にいきる自分の姿を最後の一息まで辿られることを、
私は他に知らないからです。
……
言葉を辿り、他者に会いにいくとき、
何度も新たに出会うことができ、そして、実体としてはいなかった時間空間も同時に重なり合って、
遠いむかしに出会っていたなあという気もします。
これまで、橋本さんはお会いするたびに、
なんどでもなつかしく、言葉のふるさとを訪ねてくださり、出会い直しをしてくださいました。
ふたたびの日光で、新たに出会いたいと思います。
ご一緒する方を募集しています。
追伸
未二カウンセリングの実習は全員行う予定ですが,希望の先着者、2組ほどのレビューを考えていますが、
どのようにできるか事前にご相談お知らせします。
◆日程┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・2022年8月26日(金)〜28日(日) (2泊3日)
・集合場所:東武線下今市駅(電車の時間を合わせてお迎えに行きます。)
・開催時間:8月26日(金)13時半〜
(開場11時)
解散時間:8月28日(日) 16時00分頃
◆会場┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
栃木県日光市小林地区
*会場、宿泊場所などの詳細は、参加者へそれぞれ連絡します。
◆参加費┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・42,000円
円坐、影舞、未二カウンセリング(未二観)等の舞台稽古
宿泊費、初日の夜から3日目の昼食まで6食分
◆募集人数┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
・6名程度
♦︎お申込み/お問い合わせ┈┈┈┈┈┈┈┈
桜井敦子
sakura.fule @ gmail.com
携帯:080-3250-5876
または、桜井敦子メッセンジャーへ
*お申し込みの際にはメールの件名
「裏日光円坐道場申し込み」と書いて、
本文に下記項目をご記入ください。
追って、参加費振込先、スケジュール等を送ります。
① お名前
② なるべく早く連絡がとれるメールアドレス
③ 当日連絡がとれる電話番号
④ 当日のご来場方法 (車か電車か)
⑤橋本久仁彦さんへのメッセージ
または参加動機など
(他、主催者に要望などございましたら、お言葉をお願いします。)
不明な点がございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。
◆守人┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
有無ノ一坐 坐長
橋本久仁彦
<橋本久仁彦さんプロフィール>
1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、アメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した
パーソン・センタード・アプローチに基づく「教えない授業」を10年間実践する。
その後アメリカやインドを遊学し、人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する有機的な組織作りと、
エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に関心を持ち続けている。
平成2年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。
平成13年12月に龍谷大学を退職、プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、
プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、コンテンポラリーダンスなど、
フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と実践を積み重ねるも、10年間の活動を終え、その看板を下ろす。
現在は、日本人の存在感覚に根差した口承即興舞台「きくみるはなす円(縁)坐舞台」を実践する「有無ノ一坐」坐長。
教師やカウンセラーとして生涯手掛けてきたミニカウンセリングは、位相を進めて「未二カウンセリング(未二観」となり、
円坐は同じく「円空坐」となり、縁坐舞台も「縁起の坐舞台」と成って様式が整い、
近年輪郭が明らかになった「影舞」と合わせて、生死・顕幽の境を超えて不生不滅の景色を展望する四つの終の仕事となった。
仲間も変遷し、この頃は生死を共にする有縁の仲間(一味)と連れ立って、毎日がこの世の名残りの道行である。
高野山大学スピリチュアルケアコース講師。
円坐舞台守人。影舞人。
裏日光円坐道場主
桜井敦子
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